槍出城
(やりでんじょう)

        愛知県豊川市東上白楽         


▲ 槍出城はヤリデン城とカタカナで表記されている城址である。丘の両側を
川が流れて浅い谷となっており、それなりの要害性を備えている古砦跡である。
(写真・南側から見た城址の丘)

豊川に臨む要害の砦跡

 槍出城は公的にはヤリデン城又はヤリ出山城と表記される城跡であるが、一宮町(豊川市)若返大学編の「一宮町むかしばなし」には槍出城として所載されている。城郭関係資料には遺構、規模、時期ともに不明とされ、歴史的な位置づけも困難な城跡である。
 城主も誰であったのか判らない。唯一、「一宮町むかしばなし」に大隈鞍武という名が出てくるのみである。このむかしばなしに登場する槍出城のはなしはわずか5行ほどのもので、大隈鞍武についてあれこれと記されているわけではなく、実在の人物であったのかも疑わしくなってくる。仮に実在したのであれば小土豪程度の侍であったのだろう。ちなみに、むかしばなしの内容は次の通りである(全文)。
「   槍出城
 東上わくぐり(原文は漢字)神社の西、田圃を越した丘の小高い山に昔槍出城と云うお城があった。その城主は大隈鞍武と云う武将だったとの事である、其の城跡の裏山には古墳並びに昔の武家屋敷であろうか、土を積み上げた屋敷の形跡が今尚残って居る、そして昔は城の下まで海であったと云い伝へられている。明治末期頃まではこの城跡辺で紅い火の玉が出ると云はれて村人達は非常にこわがったものである。」

 一宮町誌には、戦後の食糧不足時代に入植者によって開墾されたので土塁・堀などの城の施設は見られず、滅失してしまったのであろう、とある。
 現在は城跡の丘の南西側(鉄塔が2本建っている)から丘の上に登ることができる。丘の上は平坦な雑木林となっていて遺構らしきものは見受けられない。しかし地形的には北東側と南西側を川に挟まれた舌状台地先端部に城址があり、一応は要害の地となりうるものと思われる。


▲ 城址とされる丘の上の平坦地形。
 ▲ 送電線が近くを通っているためか丘の南面の木々は伐採されている。
▲ 丘の南斜面から登る。

▲ 丘上から南を見る。
----備考----
訪問年月日 2012年7月29日
主要参考資料 「一宮町誌」
「一宮町むかしばなし」他

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