バンテアイ・スレイ
(Banteay Srei)

世界遺産

       カンボジア王国シェムリアップ州         


▲ バンテアイ・スレイ(女の砦の意)はアンコール朝の数多く残された寺院遺跡のひとつであ
るが、その美しさと精緻な彫刻から女性的な意味合いをもたせた呼び名が付けられている。
(写真・南西側濠越しに見た遺跡)

クメールの至宝

 バンテアイ・スレイ(女の砦)と名付けられたこの遺跡はヒンドゥー教シヴァ神を祀る寺院のひとつであるが、その小規模ながらも全体の配置と建物に施された精緻な装飾レリーフの美しさはまさにクメール文化の至宝というに値すると言われる。

 この寺院が建てられたのは967年から990年頃にかけてである。アンコール朝の時代ではラージェンドラヴァルマン王(アンコール朝9番目の王/在位944-968)末期に建立作業が始まり、ジャヤヴァルマン5世(アンコール朝10番目の王/在位968-1000頃)の時に完成したということになる。

 建立者はラージェンドラヴァルマン王ではあるが実際の建造者はその王師(王の助言者・補佐官)であるヤジュニャヴラーハである。彼も王家のひとりでハルシャヴァルマン1世(アンコール朝5番目の王/在位910頃-922頃)の実の孫であったとされる。ラージェンドラヴァルマン王は彼にプノン・クレーン高丘(アンコール朝の聖地/アンコールの北東約30km)の麓のシェムリアップ川付近の土地を与えて遇した。彼はここに優秀な石工や彫工を集住させ、弟とともにこのバンテアイ・スレイ寺院を建造したのであった。

 この翌年(968)、王が没して息子がジャヤヴァルマン5世として即位した。即位に際して実力行使を伴うのがアンコール朝の常であり、この時も前王の王宮が焼き討ちされるなどしている。

 ジャヤヴァルマン5世は前王の王師であったヤジュニャヴラーハを再び王師として迎えた。彼は王の摂政としての立場にあったと言われる。この王の統治は平和で安定した時代が続いたと言われるが、彼の助言や補佐が大きく寄与していたものと思われる。

 王師ヤジュニャヴラーハは摂政としての役目を果たすと同時にバンテアイ・スレイ寺院の建造も進めていた。ジャヤヴァルマン5世はこの寺院を王の寺院としての特典を与える勅令を出したと伝えられている。この寺院の建造が国家事業の一つとして進められたということになろう。

 この寺院の完成したのは990年頃とされる。赤い砂岩で仕上がったこの寺院は陽の光を受けて周囲を温かい赤い色に染めていたことであろう。王師ヤジュニャヴラーハはこの寺院の完成したすぐ後に亡くなったと言われる。


▲ 中央祠堂とその前殿(中央の建物)。

 ▲ 遺跡の入り口、第四東塔門。繊細なレリーフに見学者の歓声があがる。

▲ 第四東塔門から第三東塔門に至る参道。

▲ 第三東塔門。

▲ 石板に刻まれた古クメール語の碑文。

▲ 第二東塔門。

▲ 第一東塔門。

▲ 中央祠堂。

▲ 南経堂。

▲ 中央祠堂中央堂前殿。

▲ 前殿に彫られている東洋のモナリザと称されたデヴァター。

▲ 西側から見た中央祠堂。

▲ 第二と第三周壁の間は水濠が巡っている。
----備考----
訪問年月日 2012年8月19日
主要参考資料 「アンコール・王たちの物語」
「アンコール 遺跡を訪ねる旅」他

 トップページへ全国編史跡一覧へ