統一会堂
(とういつかいどう)

  ベトナム社会主義共和国ホー・チ・ミン市      


▲ 統一会堂はベトナム戦争時には南ベトナムの大統領府・官邸であった
ところである。現在は戦争終結時のまま保存され、一般に公開されている。
(写真・旧南ベトナム大統領府・官邸の建物)

近代と現代の歴史を象徴する場所

 ホー・チ・ミン。彼はベトナム民主共和国(北ベトナム)の国家主席であり、ベトナムの独立・革命の指導者であった。彼の名はベトナム戦争が終結した1975年に南ベトナムの首都サイゴンの新しい名称となり、その業績は永遠に語り継がれることとなった。
 そのベトナム戦争の終結を象徴する場所のひとつとなったのがここ統一会堂(トンニャット宮殿)、当時は南ベトナム大統領府・官邸であった所である。
 1975年(昭和50)4月30日12時10分、午前中からサイゴン市内へ進撃を開始した北ベトナム軍の戦車数両が官邸の前庭に突入、同乗していた兵士らが官邸内に走り込み革命政府旗を二階バルコニーから振った。同時に官邸内にいたズオン・バン・ミン大統領は拘束され、30分後には連行された放送局から無条件降伏の放送をさせられた。
 この4月30日に至る数日間の南ベトナム政府の動きやサイゴン市内の様子などは現場にいた報道関係者らによる報告や映像によって記録されている。今、私たちはインターネットを通じて検索すれば簡単にその当時の模様を文字と映像によって知ることができる。便利な世の中になったものだとつくづく思う。
 戦争が終わってやがて40年近くが経とうとしている。ホー・チ・ミン市と名前の変わった旧サイゴンの街は観光者として見る限りは平和そのものである。川の流れのようにバイクが道路一杯になって切れ間なく走り、商店街や市場も賑やかなものだ。ここが社会主義国であることをつい忘れてしまう。
 しかし、ここ統一会堂にやってくると赤旗が林立し、建物の中央には「金星紅旗」と呼ばれる黄色い星一つの赤旗がはためいており、ベトナムが社会主義の国であったことを想起させてくれる。
 この4階建ての建物自体は1966年(昭和41)に再建されたものであり、以来南ベトナムの大統領府・官邸として使われ続けていた。もともとここはフランスのコーチシナ総督府が置かれていた所でその建物はノロドン宮殿と呼ばれていた。

 1859年(安政6)から1907(明治40)にかけてフランスは現在のベトナム、ラオス、カンボジアを植民地及び保護国として支配し、仏領インドシナを成立させたが、その根拠地となったのがサイゴンでありそのノロドン宮殿であった。1955年(昭和30)に至りフランスはインドシナから完全に手を引くことになり、ノロドン宮殿は独立したベトナム共和国(南ベトナム)によって独立宮殿と改称された。初代大統領はゴ・ディン・ジェムであったが、彼に不満を抱く軍将校操縦の戦闘機によって1962年(昭和37)に宮殿は空爆され大破したために再建されたものが現在の建物である。
 考えてみると、ベトナム戦争というのはフランスとの戦いを含めると30年に渡る長い戦いであったことになる。さらにフランスのインドシナ支配の過程を100年近く支えてきた地であることとも考え合わせると、近代と現代の歴史を象徴するような場所ともいえる。
 現在は南ベトナム大統領府・官邸時代そのままに保存され、市民や観光客に公開されている。


▲ 大統領官邸前庭に突入した北ベトナム軍のその当時の戦車が今も展示され、革命・解放の歴史を伝えている。
 ▲ 戦争の幕引きの舞台となった旧南ベトナム大統領官邸。
▲ 前庭に展示された当時の戦車。

▲ 建物内には100に及ぶ部屋があるという。これは応接間。

▲ 作戦会議室。壁に貼られた地図はどれも南ベトナム地域のものばかりだ。

▲ 大統領執務室。

▲ 中庭。壁には当時の大統領への贈り物が残されている。貴重な物は亡命の際に持ち出されたという。

▲ 中庭から見上げたベトナムの空。

▲ 二階の格子から前庭を見る。

▲ 三階正面側の通路。

▲ 最上階(4階)はダンスルームとバーが設けられ、3階の屋上に出られるようになっている。

▲ 屋上のヘリポート。迷彩塗装の米国製ヘリ(UH-1H)が置かれていた。

▲ 屋上から見た官邸正面。高層ビルがちらほら。
----備考----
訪問年月日 2012年8月16日
主要参考資料 「毎日グラフ緊急増刊・勝利した解放戦線」他

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