やすくにじんじゃ
(やすくにじんじゃ)

                東京都千代田区九段北       

靖国神社
▲ 多くの参拝者が絶えない靖国神社の社殿前。

勤皇倒幕に斃れし
         人々を祀らん

 明治二年(1869)、明治天皇の意により、戊辰戦争に斃れた官軍、つまり勤皇倒幕の士を祀るために創建されたのが靖国神社のはじまりである。
 はじめ、東京招魂社と呼ばれたが明治十二年に靖国神社と改称され、別格官幣社に列せられることになった。その間に国内の情勢は不平士族の反乱という新たな戦いが各所に勃発し、その鎮圧のための戦闘で戦死した官軍将兵をも祀るようになったのである。
 明治十年の西南戦争を最後に国内の争乱は終止符を打ったが、日本を取り巻く国際情勢は、欧米列強の飽くなきアジア進出競争によって必ずしも楽観できるものではなかった。そうしたなかで日清、日露の戦役に勝利した日本は欧米主導の国際社会の間に独立国家としての道わ歩みだしたのである。国家の存亡を賭けたこの両戦役で戦死した将兵を国家として慰霊顕彰するのは当然のことであったであろう。その数、十万人を越えている。
 もはや勤皇倒幕の志士を祀るのみの社ではなく対外戦争で戦死した将兵を国難に殉じた英霊として祀る社となったのである。
 日本は日清戦争の後、台湾征討、北清事変、そして日露戦争に至り、さらに第一次大戦、済南事変、満州事変、支那事変、第二次大戦へと戦争の道を歩み続けた。その度に多くの人々が犠牲となったことは云うまでもない。
 第二次大戦、いわゆる大東亜戦争では二百十三万四千人近くの霊が靖国神社に祀られるにいたったのである。当然のことながらその遺族や仲間を失った元軍人の数は計り知れない。
 昨今、国内外で物議をかもしている「靖国問題」であるが、解消に至るまでには長い年月が必要であろう。それは、過去の戦争が歴史的遺物となったときである。そうしてはじめて靖国も静かな森に鎮まる日をむかえるのではないだろうか。
遊就館
▲ 軍事博物館「遊就館」。
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画像の撮影時期*2005/09