青崩峠
(あおがれとうげ)

県指定史跡

浜松市天竜区水窪町


▲ 静岡県側の登山道はハイキングコースとして整備され、登山口から約20分で峠に達する。

武田軍二万五千、
          遠江へ進攻

 「塩の道」、あるいは秋葉街道と呼ばれ、古くから太平洋側と内陸を結ぶ古道がこの峠を越えて続いている。

 元亀三年(1572)十月三十日、甲府躑躅ヶ崎館を進発した武田軍三万は高遠で二手に分かれ、信玄率いる本軍二万五千は十日、ここ青崩峠を越えて遠江に入った。寒風吹きすさぶ初冬の季節である。
「わしの目の黒いうちに、信長を叩いておきたい」
 信玄はこの峠に立ち、北遠の山並を眺めて呟いた。

 健康を害し、先の長くないことを悟っていた信玄は武田家の行く末を案じ、織田信長との勝負にでようとしていたのではないだろうか。三河から直接尾張を衝く作戦である。それにはまず徳川家康を潰しておかなければならない。

 すでに北遠一帯は武田の勢力下にある。軍団は一挙に徳川の前線基地二俣城へと殺到した。

▲武田信玄公腰掛岩。峠に向かう登山道の途中にある

▲長年の風雪に耐え、峠を往来する人々を眺め続けてきた石仏たち。

▲ 青崩峠への登山道入り口。「塩の道」の碑が建っている。古くから信州へ通ずる道であったのだ。ここから峠まで約20分ほどである。

▲県の史跡碑。

▲ 峠から静岡県側の山並を望見。

----備考----
訪問年月日 2004年4月3日