(あしやまだじょう)
▲ 足山田城は武田方が街道を監視するために築いた
小規模な山城であるが、その詳細な歴史は不明である。
(写真・ゴルフ場の柵越しに見た城山。)
鉄の心と宝川合戦
足山田城は宝飯郡誌には城主の名をもとに秋山新九郎城と記されている。しかしながら築城の時期やその歴史については不明な点が多い。城跡の800mほど東の六郎辻と呼ばれるところに「烈士秋山六郎之碑」が建てられており、そこに豊川市教委による足山田城に関連する説明板が立てられている。内容は複数の口碑伝承をまとめて一つにしたようなものとなっているが、案外つじつまが合っているのでそれに倣ってまとめてみようと思う。 |
天正三年(1575)五月二十一日、武田勝頼率いる一万五千と織田・徳川連合の三万五千の大軍が長篠(設楽原古戦場)に激突した。いわゆる長篠の戦いである。戦いは鉄砲を大量使用した織田・徳川勢の完勝に終わり、武田勝頼は多くの重臣を失って甲州へ落ちて行った。 |
▲ 六郎辻に建つ「烈士秋山六郎之碑」と菩提供養の墓。 |
▲ 城山を南側の県道21から見る。 | ▲ 六郎辻の石碑と供養の墓。 |
▲ 現在の宝川(六郎辻付近)。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年12月16日 |
主要参考資料 | 「城 第108号」 |
↑ | 「一宮町誌」他 |