
(ねさきじんや)
安城市根崎町西根

▲根崎陣屋は玉縄藩主大河内松平正信が三河領の陣屋のひとつとして設置した
もので、後に三千石を六男正基に分知して以後旗本領の陣屋として続いた。
(写真・陣屋跡の高台の一部)
松平万次郎正基の陣屋
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安城市根崎町の字西根の南部に「遺跡の丘」と名付けられた小丘がある。この小丘は江戸時代に三千石の陣屋が置かれていた高台の一部である。 根崎陣屋は大河内松平正信(玉縄藩二代藩主)が慶安三年(1650)に自領の根崎村を東端村から分離独立させたときに設置されたものである。支配地は碧海郡八ヶ村(根崎、東端、和泉、榎前、高取、野寺、小川、川島の各村)であった。 元禄三年(1690)、正信は隠居に際して六男正基(まさもと)に三千石を分与した。知行地は額田郡山畑村と萱園村、碧海郡根崎村、幡豆郡大島村と松木島村の五ヶ村であった(「新編岡崎市史20」より)。 松平正基は天和三年(1683)の生まれで小大膳、万次郎、監物、大膳、内記などを称した。元禄六年(1693)に将軍綱吉に御目見得して旗本に列した。 元禄十六年(1703)の領地替えで本家の松平正久が相模玉縄藩から上総大多喜藩に移り、正基の知行地も根崎、東端、和泉の三ヶ村に変更された。三千石に変わりはなく、代を重ねて明治に至った。 現在は陣屋の置かれた高台の一部に説明板や陣屋跡の碑が立てられて往時の歴史を伝えている。 また、丘の上には由利姫(百合姫)の祠が建てられている。由利姫は寺津城主大河内秀綱の次女で東端城主永井直勝の側室であった。天正十三年(1585)の夏、由利姫は故あって東端城から舟で実家(寺津)へ送り返される途中、この地に一人上陸し、幼い我が子を思いながら自害したという。根崎の村人は姫を哀れみ、塚を築いてその霊を弔った。昭和三十九年(1964)、塚は取り壊され、この地に祠を築き祀ったという。(現地説明板より) |
![]() ▲道路沿いに立てられた説明板。 |
![]() ▲「遺跡の丘」の登り口。 |
![]() ▲登り道の途中に建てられた「陣屋跡」の碑。 |
![]() ▲由利姫の祠。 |
| ----備考---- | |
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| 訪問年月日 | 2026年3月17日 |
| 主要参考資料 | 「新編岡崎市史20」他 |