(おおくさじょう)
▲ 大草城のある大草郷は南北朝時代にはすでに地頭大草氏の所領であった。
戦国時代に西郷氏の所領となり、さらに大草松平氏の居城地となった。
(写真・城跡付近とされる正楽寺の山門。)
大草氏を偲ぶ西郷氏の隠居城
永享年間(1429-41)に明大寺城(岡崎城の前身)を築いた西郷稠頼は大草から移ったとされてきた。このことから大草城は西郷氏の居城であったのだと一般的には言われてきている。しかし、この西郷氏が守護代として三河に入部する以前からここ大草郷は大草氏の所領地であったのである。 |
文明六年(1474)、明大寺城を松平氏に譲って隠退した西郷稠頼が大草城で没した。大永五年(1525)には松平清康に明大寺城を追われた松平(西郷)信貞が大草城に隠退して没している。この信貞の系譜を大草松平氏と呼ぶことになる。 |
▲正楽寺の西郷稠頼の墓(左端)。 |
▲大草城は正楽寺近くにあったとされるが遺構はない。 |
▲西郷稠頼の墓の側に建つ石塔には「岡崎築城主西郷家之墓」とある。 |
▲西郷稠頼墓の説明板。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2014年11月30日 |
主要参考資料 | 「西郷氏興亡全史」 |
↑ | 「松平の族葉・十四松平」他 |