みょうにちじ
(みょうにちじ)

                   袋井市広岡           

孝養門
▲ 妙日寺入口である孝養門。境内東側には日蓮と父母(妙日、妙蓮)の木像が安置
  されている思親殿が建つ。重忠夫妻の墓は柳生但馬守の建立と伝えられている。

宗祖日蓮、
      父祖の地

 鎌倉時代の名僧日蓮聖人の出自については、承久四年(1222)二月十六日安房小湊(千葉県鴨川市内浦)の漁夫の子として誕生したというのが一般的である。たしかに出生地は小湊の漁村で、父は漁を営んでいたことには違いないが‥‥。
 平安時代、すでに遠江西部の在地有力者となっていた井伊氏、その六代盛直の三男政直がここ貫名郷の領主となり、地名を姓とした。これが貫名氏のはじまりである。二代行直、三代重実と続いた。
 ときは源平の争乱期となり、若くして四代目となった重忠は東海道を行き来する源平両軍をどのような気持ちで見ていたのであろうか。領地が街道に接する関係で傍観は許されず、そのどちらにも協力せざるを得なかったのではないか。
 戦後は地頭として郷を治め続けたが、ある日突如として安房配流の沙汰が下ったのである。平家に加担したためであるとか、所領争いのもつれであるとか云われているが、その詳細については今となっては知る由もない。
 妻(梅菊)一人を伴って所領を追われた重忠は安房小湊で太刀を捨て、村の一漁師としての生活をはじめた。薬王麿(日蓮の幼名)が生まれたのはそうしたときであったのだ。
 重忠はその後も許されることなく配所での生活を続け、正嘉二年(1258)に他界した。晩年、重忠は望郷の思いが尽きず、次男重友を枕頭に呼び、
「わが亡骸は貫名の里に葬るべし」
 と遺言したという。
 現在の妙日寺の境内がかつての貫名氏四代の居館跡である。
古跡碑
▲ 参道入口には日蓮聖人の先祖
  古跡を示す石碑が建っている。
----備考----
画像の撮影時期*2005/08