隠之城
(かくのじょう)

                   湖西市大知波         


▲ 隠之城は姫様の隠れ城であったとの話を今に伝えている。城跡は開発造成されて跡形
もないが、その一角に石碑が建てられ、かつてここに城の存在したことを伝えている。

姫様城伝説の城跡

 隠之城は一般的には「角ノ城」と表記されている城であるが、読みはどちらも「かくのじょう」で同じである。
 城史に関しては伝説的なものしかなく、具体的なことは分からない。しかしながら、ここに城が存在したことは確かなことなのである。現在は昭和40年代(1965-74)の開発事業で別荘地に造成されてしまったために遺構は消滅してそれを確認することはできないが、戦前に編された「知波田村誌」によれば「今尚残壕壘壁ノ存スルアリ」とあり、城館資料にも上下二段の二つの曲輪で構成され、上段の曲輪には土塁跡が残り、下段の曲輪との間には幅15mの空濠が見られたとある。
 地理的には浜名湖西岸に築かれた今川方の宇津山城の西3kmほどのところにある。薬師山の中腹の通称天神山に築かれており、宇津山城の出城の一つと考えられている。ちょうど多米峠越えの街道筋を視認する位置にあり、三河方面からの侵入者に対応した城砦であったとも考えられる。
 この地域に伝わる話では、宇津山城のお姫様の身の安全をはかるために築かれた隠れ城であったと言われている。
 宇津山城のお姫様とは城主朝比奈氏の家族のことであろうとされている。宇津山城の落城は永禄十一年(1568)十二月の徳川勢による城攻めによってであるが、この時にこの城も滅びたとされている。
 しかし、この時点での宇津山城主は朝比奈氏ではなく今川重臣の小原鎮実であった。代々宇津山城主であった朝比奈氏はこの前年に徳川方への内通を理由に今川氏真の命令を受けた小原鎮実によって滅ぼされていたのである。お姫様の隠れたとされるこの城が落とされたのは徳川勢によってではなく、身内であった今川勢によって滅ぼされたのではなかろうか。
 湖西市は姫様城の伝承を後世に伝えるため、昭和51年(1976)に「史蹟隠之城址」の石碑を城跡に建てた。

▲ 城跡のある丘。海抜40mほどの高さである。これは北側から見たもので、鉄塔の建つ付近が城跡である。

▲ 城跡のある丘は別荘地として造成されたのであるが、実際に建築された建物は少なく、大半の区画が雑木に覆われていた。

▲ 造成区画の片隅に、雑木に隠れるように建っていた城址碑。

▲ 石碑の建つすぐ隣はこのような窪地となっている。かつての堀跡か。
----備考---- 
訪問年月日 2011年7月8日 
 主要参考資料 「湖西風土記文庫」
 ↑ 「知波田村誌」他 

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