源範頼供養塔
(みなもとののりよりくようとう)

                   浜松市南区飯田町           


▲源頼朝の異母弟範頼が育った地が蒲御厨で、当地にその別邸が置か
れた。範頼は伊豆修善寺において自刃に追い込まれて果てたが、後年
この地に供養のために龍泉寺が建立されて供養塔が建てられた。
(写真・新たに立て直された源範頼供養塔)

蒲冠者範頼
       成長の地

 蒲冠者三河守源範頼。源頼朝の異母弟である。源平合戦では大手の大将として大軍を率い、中国から九州に渡り、平家の背後を押えた。義経が搦め手の大将でありながら劇的な勝利を収め続けえたのも範頼軍の行動があったからだといえる。

 この範頼の育った地が蒲御厨で、その荘官蒲氏の保護のもとにここ飯田稲荷山の地に屋敷が建てられた。現在の龍泉寺のある一帯がそうである。

 「蒲氏系譜」によると蒲清倫(きよとも)の娘と範頼の間に女子が産まれている。名を藤姫という。清倫は藤姫に婿をとり蒲氏を継がせたとある。範頼は遠江の温暖な地で自由奔放に成長したことであろう。

 やがて、頼朝の挙兵によって歴史は大きく動き出すのであるが、範頼も源氏の御曹司として否応なく歴史の表舞台へと出て行かざるをえなかった。

 戦後の義経の悲劇はよく知られているが、範頼も同じように頼朝から謀反の嫌疑をかけられて伊豆修善寺に配流となり、建久四年(1193)に攻められて自害に追い込まれてしまったのである。
「御厨の安穏な日々がなつかしい」
 死の瞬間に範頼の脳裏にのどかな御厨の風景がよぎったに違いない。

 ここ龍泉寺は享徳三年(1254)、天■義倫(てんがんぎりん)和尚によって範頼供養の寺として開山されたものである。

 龍泉寺の墓苑には巨大な五輪塔が建っていた。これは範頼の供養塔であったが、現在では新たに建て替えられている。

曹洞宗・稲荷山龍泉寺の本堂。源範頼ゆかりの三重県石薬師の「蒲ザクラ」の幼苗が平成15年2月9日に本堂前に植えられた

範頼の供養塔である巨大な五輪塔。現在では建て替えられてこの古い塔はない。

▲本堂前の蒲ザクラ。

▲山門前の龍泉寺由来。

▲龍泉寺山門。

▲範頼供養塔の史跡標柱。

▲蒲家の別邸・堀の跡。別邸というのが範頼の為に用意された館のことで、この水路がかつての堀跡とされている。

▲範頼の愛馬を葬ったという駒塚。

▲範頼の愛馬慰霊のために建立された馬頭観音菩薩像。

▲駒塚由来碑。範頼が伊豆修善寺で自刃した際に愛馬はその首をくわえて幼少から青年期を過ごした当地に駆け戻り息絶えたという。

▲駒塚。
----備考----
訪問年月日 2005年4月3日
再訪年月日 2021年4月3日