とよださきちてい
(とよださきちてい)

                   湖西市山口            


▲ 復元された豊田佐吉の生家。

障子を開けてみよ
         外は広いぞ

 豊田佐吉の生まれた慶応三年(1867)という年は幕末激動の時代であった。
 最後の将軍となった徳川慶喜が大政奉還を決し、さらに王政復古が宣せられ、この翌年早々には鳥羽・伏見において幕府軍と薩長軍との間に戦争がはじまった。このときの日本は、新しい時代へと生まれ変わるための陣痛の時期であったともいえよう。
 奇しくも、新生日本の誕生とともに生まれ育った佐吉は家業の大工のかたわら、新聞を読みあさり、仲間と集まっては西洋文明を紹介する書籍の勉強会をするなどしている。いわば立志精神旺盛な青年であったといえる。後に彼は自動織機の発明、開発という偉業を達成し、世界に日本の技術力の高さを示した。現在のトヨタ自動車の前身がそれであることは周知の事実である。
 現在の日本の繁栄がこの明治期の先達の労苦によることはいうまでもない。日本人とはなにか。ということを考えるとき、この時期の群像に目を向けるべきであろう。
 江戸三百年の鎖国の間に西洋文明は大きく進化していた。日本人の凄さは、その西洋文明を単に取り入れるというだけに止まらず、果敢に挑戦していったところにある。資源、資材に乏しく、工業力そのものも弱々しく、まさに無の状態から世界に誇る偉業を我々の先達は成し遂げている。あの名機「零戦」しかり、世界最大の戦艦「大和」しかりである。無論、工業分野だけではない。医学、文学の分野においてもしかりである。
 ここ豊田佐吉邸は佐吉生誕百二十年を記念して、昭和六十三年に豊田章一郎氏により記念館として整備開設、一般公開されている。母屋、納屋、佐吉の発明した織機の展示室などの他、平成二年には生家が復元された。
豊田佐吉胸像
▲ 邸内に建てられた佐吉の胸像。
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画像の撮影時期*2003/11