
(あかぎじょう)

▲ 赤木城は築城名人として知られる藤堂高虎初期の築城作品として知られる。
石垣を多用し、複雑な虎口を備えたこの城は凄惨な一揆討伐の拠点であった。。
(写真・城址南側の県道40号から望遠にて俯瞰した赤木城。)
行ったら戻らぬ赤木の城へ
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天正十三年(1585)、紀州は羽柴秀吉によって平定された。この時、奥熊野地方に勢力を張っていたのは新宮を本拠とする堀内氏であった。その範囲は現在の新宮市から紀北町にかけての地域で三重県南部と和歌山県南東部といったところであろうか。紀州攻め時、当主の堀内氏善は秀吉に臣従したことにより戦火に見舞われることなく本領は安堵され、和泉、大和、紀伊の領主となった羽柴秀長の配下となった。 |
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なお、現地説明板には「藤堂佐渡守は天正十三年の紀州攻めの際に北山入りし、文禄四年(1595)四国伊予三郡を与えられるまでの十一年間北山付近に在居し、この間二度の北山陣で一揆方を成敗したり北山材の切り出しを行っているのでこの頃に現在の城郭に整備したものと考えられる」とある。 |
![]() ▲ 主郭虎口の石垣。平成4年(1992)から13年間かけて石垣の積み直しなどの復元整備が行われた。 |
| その後、赤木城がいつ頃まで機能したのかは伝えられていないが、発掘調査によって出土した遺物が16世紀末から17世紀初頭のものとされており、一揆鎮圧後は廃されたものと思われる。ゆえに後世の改変を受けることなく山に埋もれてきたおかげで、私たちは400年前の姿に復元整備された城跡を目にすることができるのである。 |
▲ 赤木城跡駐車場入り口。 |
![]() ▲ 車を降りると城そのものの姿が見渡せる。 |
![]() ▲ 整備された登城路を登りきると東郭である。 |
![]() ▲ 東郭から見た主郭石垣。 |
![]() ▲ 虎口下段と呼ばれる主郭に至る最初の枡形。ここには階段が無く、梯子のようなもので登っていたと考えられている。 |
![]() ▲ 虎口上段と呼ばれる部分で、二つ目の枡形となる。 |
![]() ▲ そして主郭への最後の枡形虎口となる。 |
![]() ▲ 主郭に建てられた城址碑。 |
![]() ▲ 主郭側から見た虎口。 |
![]() ▲ 主郭から見た東郭。 |
![]() ▲ 主郭から見た西曲輪。 |
![]() ▲ 主郭北側に設けられた北郭。 |
![]() ▲ 主郭北面の張り出し部分。ここには櫓が建てられていた可能性があると言われ、横矢掛けで防御効果を高めている。 |
![]() ▲ 主郭正面(南面)の石垣。やはり横矢掛けを可能とする張り出しが設けられている。 |
![]() ▲ 主郭から南東方向の眺望。山間に棚田が広がるのどかな風景である。 |
| ----備考---- | |
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| 訪問年月日 | 2013年3月2日 |
| 主要参考資料 | 「日本城郭全集」 |
| ↑ | 「三重の山城ベスト50を歩く」他 |