深草館
(ふかくさやかた)

県指定史跡

            山梨県北杜市長坂町大八田    


▲深草館は逸見光長が谷戸城の支城として築いたと
言われ、戦国期には堀内氏の居館となっていた。
(写真・西側から見た堀と館跡)

八ヶ岳南麓、甲斐源氏の館跡

平安時代後期、甲斐国逸見(へみ)荘を新天地として根付き、甲斐源氏の祖となった源清光は逸見冠者黒源太を名乗り、谷戸城を居城として築いたと言われる。

その清光の嫡男太郎光長が谷戸城の支城として築いたのが深草館であると伝えられている。その後、深草館には清光の家臣で逸見氏の支流堀内氏が居住したらしいが、詳細は分からない。

時代は下って戦国期になると堀内下総守の名が伝えられており、その子主税助の時に落城したとされる。落城の経緯に関しては伝えられてはおらず、天正十年(1582)の織田軍による武田征伐時、または天正壬午の乱のときに後北条勢によって落城したものと見られている。

館跡は南北二つ(かつては三つ)の郭から成り、それぞれ土塁で囲まれている。登城の際には堀に架かる丸太の橋を渡ることになるが、足元には十分気を付けていただきたい。


▲館跡の土塁。

▲説明板。館跡から少し離れたところにある。

▲館跡への入口に架かる丸太の橋。

▲土塁に囲まれる北曲輪。

▲北曲輪の土塁。

▲北曲輪と南曲輪の虎口。

▲南曲輪。

▲雄大な南アルプスをのぞむ。
----備考----
訪問年月日 2021年12月4日
主要参考資料 「山梨の古城」本

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