蜂須賀城
(はちすかじょう)

:            愛知県あま市蜂須賀大寺       


▲蜂須賀城は蜂須賀郷土着の国人蜂須賀氏の居城である。戦国期には
小六正勝の代に宮後城(尾張北部)へ移るまで蜂須賀本家の居城であった。
(写真・蜂須賀小六正勝公の顕彰碑と城址碑。)

国人蜂須賀氏の古城

 蜂須賀氏が尾張国蜂須賀郷の国人としてその名が伝えられるようになるのは正永からとされている。正永は当時の尾張守護であった斯波氏に仕えていたと言われている。
 永正元年(1504)に嫡男正利が蜂須賀城で生まれたとされる。正利は斯波氏の衰退によって隣国美濃の斎藤氏に従っていたと言われる。
 大永六年(1526)、正利の側室安井御前が嫡男正勝を出産した。正勝は通称小六として世に知られる。
 この正利、正勝父子の代に尾張の実力者となっていた織田信秀は斎藤方の蜂須賀城を圧迫したものと思われ、蜂須賀氏は蜂須賀郷を追われたようである。正勝らは母安井御前の実家である丹羽郡宮後村に移住、宮後城を居城とすることとなったとされる。
 正勝の嫡男家政は永禄元年(1558)の生まれであるから、宮後城で生まれたことになる。家政の生誕地を蜂須賀城とする資料も多いが、やはり蜂須賀退転後の誕生と見るのが自然と思われる。
 宮後城に移った正勝は木曽川周辺に勢威を張り、川並衆を率いる頭領として独立した勢力となったようである。その後はご存知のように木下秀吉に協力して墨俣城の築城に一役買い、秀吉の参謀役として大活躍して行くこととなる。正勝の子家政は阿波徳島藩(徳島城)二十五万石の基礎を築き、代を重ねて明治に至った。
 現在、城址碑の建つ蓮花寺は蜂須賀氏の菩提寺であり、城館跡は当寺の東側にあったようである。城館資料には200m四方の堀・土塁で囲まれた方形城館であったようである。


▲蜂須賀氏菩提寺である蓮花寺山門。

▲蓮華寺の本堂。

▲蓮花寺山門前の顕彰碑と共に建つ城址碑。

▲昭和2年(1927)建碑の「蜂須賀小六正勝公碑」顕彰碑。

▲蜂須賀正勝公遺跡保存会記念碑。

▲顕彰碑の説明板。
----備考----
訪問年月日 2015年4月18日
主要参考資料 「日本城郭全集」
「日本城郭大系」他

 トップページへ全国編史跡一覧へ