アンコール・ワット
(Angkor Wat)

       カンボジア王国シェムリアップ州         


▲ アンコール・ワットはスールヤヴァルマン2世によって
12世紀前半に建造されたヒンドゥー教寺院である。
(写真・聖池とアンコール・ワット)

ヴィシュヌ神の神殿

 アンコール遺跡群の中でも最も壮麗かつ壮大な大伽藍の威容を今に伝え、カンボジアを象徴する遺産となっているのがこのアンコール・ワット寺院である。このアンコール・ワットを建造したのはスールヤヴァルマン2世(アンコール朝18番目の王/1113-1150頃在位)である。彼はヒンドゥー教の最高神のひとつヴィシュヌ神を信奉していたため、それまでのシヴァ神の寺院を使用することなく新たな寺院建立を実行したのであったのだ。
 アンコール朝における王位継承には多くの場合戦いを伴い、力によって王位が獲得継承されている。スールヤヴァルマン2世が王位に就く際にもそうであった。彼が王位に就いたのが1113年と言われており、日本では平安時代の後期にあたる。戦闘は一日続いたとされ、この戦いでスールヤヴァルマン2世は前王ダラニンドラヴァルマン1世(17番目の王/1107-1113在位)の象の頭に飛び乗って王を殺したと伝えられている。そして王宮は徹底的に破壊されたという。新王スールヤヴァルマン2世の新王宮はアンコール・ワットの北塔門の正面に営まれたと考えられている。
 スールヤヴァルマン2世は即位するとすぐにチャンパ(ベトナム南部)と大越(ベトナム北部/李朝)と交戦状態となり、1128年には2万の大軍を、さらに翌年には700隻以上の船隊を送って大越を攻め続けた。チャンパに対しては1145年に首都ヴィジャヤを攻略して傀儡の王を立てている。晩年の1150年にも大越に遠征軍を送り、さらに西隣のタイ中部にまで軍勢を進めたことが伝えられている。

 この王の国外遠征は結果的には勝利することはなく、没後の1177年には逆にチャンパ王国によってアンコールが占領されるという状況にまで追い込まれて行く。
 このアンコールの危機を戦いによって乗り越え、アンコール朝の最盛期をもたらしたのがアンコール・トムを建造したジャヤヴァルマン7世(21番目の王/1181-1281頃在位)であった。
 アンコールワットは当初、スールヤヴァルマン2世によってヴィシュヌ神を祀る寺院であったが、いつの頃(16世紀中頃か)からか寺院内には仏像が多く安置されるようになった。
 カンボジア内戦時、ポル・ポト軍がこのアンコール・ワット遺跡に陣取り、多くの仏像を破壊したり、砲座を設けたりして貴重な遺産が損壊を受けた時期があった。現在では平和が取り戻され、世界各国の学者や技術者たちが保存・修復の作業を続けている。


▲ アンコール・ワットへの入り口、環濠を渡る西参道と西塔門。

 ▲ これはアンコール・ワットの表玄関である西塔門の南の出入り口である。

▲ その柱には内戦時代の弾痕が残っている。

▲ 中に入るとビシュヌ神が安置されている。

▲ 西塔門を抜けると参道の先に祠堂が見える。

▲ 祠堂を取り巻く第一回廊。

▲ 第一回廊と第二回廊の間にある十字回廊。

▲ ワット内にはいたる所にこうしたデヴァター(女神)のレリーフが彫られている。

▲ 第二回廊を抜けると中央祠堂が眼前に迫る。観光者用の急な階段を上って第三回廊へ向かう。

▲ 第三回廊からの展望。第二、第一の回廊、そしてその先にひろがる樹海。

▲ 中央祠堂の仏像。

▲ 東側(裏)の第一回廊。

▲ 回廊の壁面には神話にまつわるレリーフが全面に彫られている。

▲ 東北側から見た祠堂。

▲ アンコール・ワットの夕暮れ。

▲ そしてアンコール・ワットの日の出。
----備考----
訪問年月日 2012年8月18日
主要参考資料 「アンコール・王たちの物語」
「アンコール 遺跡を訪ねる旅」他

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