タ・プローム
(Ta Prohm)

       カンボジア王国シェムリアップ州         


▲ タ・プロームは建寺王としても知られるジャヤヴァルマン
7世が母の菩提を弔うために立てた仏教寺院であった。
(写真・第3回廊西塔門と参道を行く旅行者たち)

大樹の根に耐える古代遺跡

 アンコール王朝の救世主であり、また王朝の最盛期を築き上げた王がジャヤヴァルマン7世(アンコール朝21番目の王/1181-1218頃在位)である。彼はチャンパ(ベトナム南部に栄えた王国)に占領された王都アンコールを奪還し、歴代王のなかでは最大規模の都城であるアンコール・トムを築き上げたことで知られる。

 そのジャヤヴァルマン7世は仏教を奉じており、母の菩提を弔うために建造したのがこのタ・プローム寺院であると言われている。1186年に王の母を模したプラージュニャパーラミター(般若波羅蜜多)像を主神として安置し、建造が開始された。そして境内の各祠堂には260の神々が祀られたと言われる。また、僧院内には640人の僧侶が住み、少なくとも79,365人の人々がこの寺院の荘園村落などで働いていたと伝えられている。それほど僧侶たちは民衆から崇敬されていたということなのであろう。

 ジャヤヴァルマン7世はアンコール・トムのバイヨンやここタ・プロームのように多くの寺院を建立したことでも知られるが、その他に国内の各地に施療院を102ヶ所に設置したといわれる。施療院の実態は病人が入院できるようなものであったのか、もしくは単なる診療所であったのかはよく分らないが、仏教徒としての王の慈悲心や善行などを示すためのものであったのだろう。そしてこのタ・プロームはその102ヶ所の施療院へ王が寄進する必需品の集配所(薬石、薬草などか)として、管理センター的な機能を有していたとされる。

 後にヒンドゥー教に改宗(ジャヤヴァルマン8世/アンコール朝23番目の王・1243-1295在位)された際に仏像やそのレリーフの多くが破壊されたり削り取られたりしたと言われている。

 現在のこの遺跡は1860年に再発見された当時のままに保存されており、スポアンと呼ばれるガジュマル(榕樹)の一種の大木の根が石造の遺跡を破壊し続けている。そして遺跡そのものがその破壊に耐えている様子が訪れる人々の眼に神秘的な古代遺跡の風情を増幅させて迫ってくる。


▲ 十字回廊付近の大樹の根。

 ▲ 西側からの入り口、西門。

▲ 第3回廊西塔門入ってすぐ北側の祠堂。大樹の根が喰い込んでいる。

▲ 同じく南側の祠堂。

▲ 第2回廊内側。

▲ 第1回廊内側。

▲ 十字回廊付近の堂塔群。

▲ 第3回廊東内側の堂塔。

▲ 東塔門付近。

▲ 前柱殿東側。
----備考----
訪問年月日 2012年8月19日
主要参考資料 「アンコール・王たちの物語」
「アンコール 遺跡を訪ねる旅」他

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