くわのみでら
(くわのみでら)

                滋賀県蒲生郡安土町桑実寺       

桑實寺本堂
▲ 苔むす石段を登りきると南北朝時代そのままの本堂が現れる。国の重要文化財となっている。

足利将軍、
       仮幕府を置く

 桑實寺の創建は古い。天智天皇のむかしに遡る。当時、琵琶湖周辺に流行した疫病平癒のために薬師如来を安置したことにはじまる。白鳳六年(678)十一月八日、藤原鎌足の長子定恵和尚の開山による。
 その甲斐あってか、流行病に侵されていた阿閉(あべ)皇女も平癒し、慶雲四年(707)に桑實寺へ行幸している。以後、当寺は朝廷から保護され続け、二院十六坊を擁する寺院として隆盛を極めたのである。
 時代は下り、戦国時代へと移る頃、当寺の建つ繖(きぬがさ)山に城(観音寺城)を築いた佐々木氏によって文明十五年(1483)、三重塔が建立されている。
 応仁の乱以来、京では争乱が絶えず、足利幕府の権威も失墜し、将軍も名ばかりとなっていた大永元年(1521)、十二代将軍に足利義晴が就いた。しかし義晴は、京を支配する細川氏との和が成らず、佐々木(六角)定頼を頼って近江へと移ったのである。
 義晴は佐々木氏の庇護下ここ桑實寺において三年間にわたり幕府を開いたのである。
 そして戦国時代も新しい展開を見せはじめる。永禄十一年(1568)、織田信長による近江制圧と上洛である。六角佐々木氏は排除され、寺領も一旦は没収されはしたが信長によって回復されている。
 天正九年(1581)四月、信長の竹生島参詣の留守中、安土城の女房衆が息抜きであろうか、城を出て当寺へ詣でたのである。これが信長の怒りをかい、寺に詣でた女房衆は寺の長老もろとも成敗されたという悲惨な出来事もあった。
 その後、戦災も受けることなく現在に至っているが、なぜか天災と火災によって堂宇が減少し続け、今では本堂と正寿院、千光院、宝泉坊を残すのみである。
総門
▲ 境内への入口、総門。
----備考----
画像の撮影時期*2005/01