松ヶ瀬台場
(まつがせだいば)

国指定史跡

            福井県大飯郡おおい町大島    


▲松ヶ瀬台場は幕末期に小浜藩によって多く築造された台場の
ひとつである。遺構の残存状態が良く、復元整備も進められている。
(写真・半円状に構築された松ヶ瀬2号台場。)

小浜湾口の海防砲台

 松ヶ瀬台場跡は1.7km北にある鋸崎(のこぎりざき)台場跡と共に小浜藩台場跡として国の史跡に指定されている。鋸崎台場跡は現在大飯原発の地内ということで訪問見学は叶わないが、ここ松ヶ瀬台場跡は復元整備が行き届いており訪問者の目を楽しませてくれている。

 天保五年(1834)、小浜藩では酒井忠義(ただあき)が十二代藩主となった。この時期、日本各地に外国船の来航が相次いでおり、幕府から異国船打払令が出されていた。異国船打払はほどなくして廃されたが、天保十一年(1840)にアヘン戦争が起こるなどして欧米列強の進出に東アジア情勢は緊迫の度を加えていた。

 そうしたなか、忠義は京都所司代を天保十四年(1843)から嘉永三年(1850)にかけて務めている。小浜藩は京都の北に位置して日本海に面している。京都守護の観点からも海防に力が入ったことは疑う余地はない。

 嘉永四年(1851)、小浜藩は台場築造を幕府に届け出た。小浜藩によって築造された台場はおよそ三十ヵ所とされているが、その詳細に関しては不明な点が多いらしい。

 その中でも鋸崎と松ヶ瀬に築造された台場は安政元年(1854)に完成したとされている。ペリー艦隊が浦賀に来航した翌年のことである。

 ここ松ヶ瀬台場には横一線に大砲が並ぶ1号台場と半円状に並ぶ2号台場がある。1号台場は約50mの幅の間に5ヵ所の砲座が海に向かって一列に並んで構築されている。2号台場は1号台場よりさらに海側近くに構築され、半径40mの半円形をした砲台である。砲座は5ヵ所で、中央の砲座のみは砲口の向きが変えられる回転式砲座となっている。


▲2号台場中央の回転式大砲(レプリカ)。砲尾部分を半円状に振って砲口の向きが変えられるようになっている。

▲1号台場の土塁と砲眼。

▲2号台場の図。

▲2号台場は復元整備が行き届いている。

▲2号台場の固定式方形砲座。大砲はカノン砲のレプリカである。

▲2号台場中央の回転式半円形砲座。

▲土塁端に設けられた焼紅弾室(火薬庫)。

▲海側から見た2号台場の土塁。

▲台場前方の海と内外海(うちとみ)半島松ヶ崎。小浜湾の入口である。

▲1号台場の図。

▲1号台場の土塁と砲眼。
----備考----
訪問年月日 2017年4月30日
主要参考資料 現地案内パンフ・他

 トップページへ全国編史跡一覧へ