(はぎじょう)
豊川市萩町下ノ坪
▲ 萩城は戦国期に勢力を増した奥平氏によって築かれたものと思われる。。
(写真・鉄塔の左側の山が城跡。)
萩奥平氏の山城
諸地誌等によれば萩城(萩村古城、萩古城、萩村城)の項には清家右馬允、次に内藤十郎市、次に奥平周防守の名が記されている。棟札等によって清家右馬允は嘉吉元年(1441)当時の人物であるようだ。古くから地頭代として土着していたものと思われるがその詳細は分らない。内藤氏に関しても同様に分らない。奥平周防守は萩奥平氏三代目勝次のことであり、永禄・元亀・天正と激動の戦国時代を生き抜いた武将である。 |
▲ 城址入口に立つ標柱。訪城時、山腹には柵が巡らされており、登城できなかった。 |
▲ 城址遠景。鉄塔の左の山が城址である。 | ▲ 城址の南西約800mの所にある善住寺。 |
▲ 善住寺の墓地の一画にある「萩城主奥平周防守家之墓」。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2013年7月7日 |
主要参考資料 | 「東海古城研究会・城180号」 |
↑ | 「長篠戦史・山家三方衆」他 |