(かちやまじょう)
豊川市三上町勝山
▲ 勝山城は大永年間(1521-28)に熊谷越後守が城主であったことが伝えられている。
宇利城主である熊谷氏の一族であると言われていること以外はよく分らない。
(写真・かつての本丸虎口付近に建つ城址碑。)
連歌を愛した武将
室町時代の連歌師宗長の「宗長手記」に大永二年(1522)の上洛の際にここ勝山に立寄ったことが記されている。「本坂と云うこえて、西郷宿所あなひして、熊谷越後守館勝山、一日ありて連歌あり」というもので、本坂峠を越えて三河入りした際に勝山に立寄り連歌したということである。勝山城の存在が歴史に記されたのはこの時のことだけのようである。 |
▲ 電柱の向こうの高くなっている所が本丸跡とされる。左の角に城址碑が建つ。 |
▲ 川東公会堂前に建てられた城址碑。 | ▲ 城址碑横に立つ説明板。 |
▲ 城址碑前の道路。かつての堀跡と一致する。 |
▲ 城址南側に白山神社がありその高所には物見台が置かれたものと見られているが遺構はない。 |
▲ 城址の南側のもう一つの高所である権現山。ここにも物見台が置かれたものと推定されている。 |
▲ 本丸部分の散策中に見かけた井戸。東海古城研究会の調査報告の中に「現在は蓋があり覗くことは出来なかった」とある。この井戸がそれなのかは未確認である。あしからず。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年12月23日 |
主要参考資料 | 「城 第137、140号」他 |