(くぼたじょう)
豊川市御津町上佐脇西区
▲ 久保田城は南北朝の頃に落城して城主は滅びたが、難を
逃れた遺児によって帰農、繁栄したと伝えられている。
(写真・城址碑と説明板。)
落城、帰農そして繁栄の古城跡
南北朝時代のものとされるこの久保田城は現在、宅地耕地化して遺構とみられるものは何もない。言い伝えでは「南北朝時代に城主は滅亡した(現地説明板)」とされており、その実態は謎のままである。 |
▲ 県道31号森交差点から南へ約350mの道路脇に城址碑が建っている。JA濃営センターの前である。 | ▲ 周辺は耕作地が広がり、のどかな風景を見せている。 |
▲ 城址碑と共に立っている説明板。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2013年4月20日 |
主要参考資料 | 「中世城館調査報告書集成・愛知」他 |