(しろのこしじょう)
豊川市萩町二反田
▲ 城の腰城は萩を領した萩奥平氏によって築かれたものとされ、土塁や堀などの遺構が僅かに残る。
(写真・県道332号に分断された城跡。標柱の所から左へ上がると曲輪跡に出る。)
城主が涙を呑んだ城跡
設楽郡作手郷に土着した奥平氏は15世紀中頃には近隣の村々を従えて勢力を拡大した。ここ萩の地も二代貞久の時に領地となり、貞久四男主馬允が領主となって一家を興した。萩奥平氏である。はじめ字下ノ坪に山城/萩城を築いて居城としたと思われる。 |
![]() ▲ 曲輪西側の縁辺に見られる土塁跡。 |
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![]() ▲ 曲輪の北東端には切通しの通路があるが、堀切跡の名残りであろうか。 |
![]() ▲ :県道沿いに立つ標柱。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2013年7月7日 |
主要参考資料 | 「東海古城研究会・城180号」 |
↑ | 「長篠戦史・山家三方衆」他 |