(とよかわじょう)
豊川市西豊町1
▲ 豊川城は江戸初期に水野氏が当地に陣屋を構えたことを後世に伝えるために名付け
られたようなもので、本来は豊川水野氏陣屋又は水野家屋敷跡と呼ぶ方が妥当と思われる。
(写真・光明寺山門前に建てられた城址碑。)
旗本水野氏の陣屋跡
三河国司大江定基の孫、定厳がこの地に居館を構えたのに始まるとされる豊川城であるが、言うまでもなく戦国期に見られる城というものではなく、地域支配のための役所を兼ねた居館程度のものであったろう。 |
▲ 光明寺山門。城址碑はこの門のすぐ右側に建っている。 | ▲ 光明寺本堂。水野氏が屋敷を構えた場所は明確でないが、光明寺に隣接する地域であったようだ。 |
▲ 光明寺墓地の一画にある水野八十郎後に佐渡守忠直の墓。右端の墓石には「前佐州大守休翁良罷」と刻されてる。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年12月23日 |
主要参考資料 | 「城 第172・173号」他 |