
(くにもりじょう)
西尾市国森町1丁目

▲国森城は施設建設に伴う発掘調査で堀跡が発見さ
れたことから矢田松平氏の居館跡に推定されている。
(写真・城跡に建設された市の施設)
矢田松平氏の居館か
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西尾市国森町に市の施設の矢田ふれあいセンターがあり、この建設に伴って平成二十二年(2010)から発掘調査が実施され、国森遺跡と名付けられた。結果、弥生時代から戦国時代に至る遺物が発見された。 その中に戦国期に掘られた堀跡の一部が見つかっている。上端幅3m、下端幅0.8m、深さ1.5m、一辺の長さが40m以上で、掘り直した痕跡がないことから臨時の砦として利用されたと考えられている。もしくは短期間で終焉した城館跡とも考えられよう。ただ、文献資料に記録の無い城館跡であるので、築城者やその歴史などは不明である。 発掘現場の城跡=国森城の南西約900mの桂岩寺は天文六年(1537)に松平甚六郎康忠が菩提寺として再建した寺である。松平康忠は安城城主松平宗家四代親忠の子右京亮張忠の嫡子とされる。康忠の家は矢田松平家と呼ばれており、桂岩寺周辺の矢田地域にその居館があったものと思われるがその具体的な位置は分かっていない。そこで新発見となった国森城跡が矢田松平家の居館地であったものと推定されているようである。 松平康忠は天文九年(1540)に尾張の織田信秀が松平長家の守る安城城を攻めた際に伯父長家を加勢するために出陣したが、この戦いで討死してしまった。国森城の堀跡が臨時的、短期的なものとするならば、康忠の討死によって廃された城館跡と見ることができるかもしれない。今後の考究が待たれるところである。 桂岩寺の南西約200mの公園内に小高い塚がある。矢田地蔵塚と呼ばれ、松平康忠の墓と伝えられている。 |
![]() ▲ふれあいセンターの南東側は公園となっており、段々になっている。 |
![]() ▲地形図を見るとここが台地の先端部にあることがわかる。 |
![]() ▲矢田公園内の矢田地蔵塚。 |
![]() ▲矢田松平康忠の墓と伝えられている。 |
| ----備考---- | |
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| 訪問年月日 | 2026年2月19日 |
| 主要参考資料 | 「西尾の人物誌」他 |