(しちしゅうじょう)
市指定史跡
豊田市小坂本町8丁目
▲ 七州城は挙母藩の府城として江戸中期に築かれた城である。城か
らは三河、尾張など七か国が見渡せたことからこの名が付けられた。
(写真・復興された七州城隅櫓。)
立藩後百八十年にして築かれた挙母の府城
慶長九年(1604)に三宅康貞の入部によって立藩された衣藩一万石は当初佐久良城(桜城)の地(豊田市元城町)に陣屋を構えたことにはじまる。その後本多氏の入部(天和元年/1681)によって「衣」から「挙母」へと表記が変わり、寛延二年(1749)上野国安中より内藤政苗(まさみつ)が二万石の藩主として封じられた。 |
▲復興隅櫓近くに建つ「挙母城阯之碑」。 |
▲豊田市美術館と供用の駐車場。かつては蓮池と呼ばれる本丸の堀であった所である。 |
▲駐車場から隅櫓まではすぐである。 |
▲七州城唯一の遺構ともいえる櫓台の石垣。 |
▲「七州城隅櫓再建之碑」。昭和52年(1977)に再建された。 |
▲櫓台の内側から見た隅櫓。 |
▲隅櫓の場所からの眺め。七州が見渡せたというが、現在では住宅の屋根ばかりである。 |
▲又日亭。寺部城に在った渡辺氏の書院と茶席を市が移築・復元したもの。 |
▲又日亭の裏の石塁。遺構なのかは分らない。 |
▲隅櫓の東側一帯は豊田市美術館の敷地となっている。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2013年12月15日 |
主要参考資料 | 「豊田の史跡と文化財」他 |