誕生井戸
(たんじょういど)

浜松市中央区常盤町


▲誕生井戸は二代将軍徳川秀忠の産湯の井戸のことである。
(写真・誕生井戸の碑)

秀忠誕生の井戸

遠州鉄道の遠州病院駅高架下に「誕生井戸」と刻まれた常夜灯を模した碑が建っている。この碑のすぐ北側に四角に石で囲んだ井戸跡がある。徳川二代将軍秀忠の産湯の井戸を模したものである。

実際の産湯の井戸はここの西側約50mの所にあり、明治の頃まで残っていたらしい。その後の市街地化によっていつしか無くなってしまったのであろうか。その井戸の残っていた辺りに下屋敷があった。天正七年(1579)四月八日、ここで秀忠が産声をあげたとされる。幼名は長丸、母は徳川家康の側室西郷の局である。下屋敷はその後は「御誕生バ」または「誕生屋敷」と呼ばれた。屋敷の東側を流れる新川に架かる橋を「誕生橋」という。

秀忠の生まれた天正七年は家康にとって痛恨の年であった。長子信康を二俣城にて切腹させ、正室築山御前も佐鳴湖畔(築山御前月窟廟・太刀洗の池)で斬っている。

それでも秀忠はすくすくと育ち、天正十五年(1587)八月、わずか八歳で元服した。次男の秀康は豊臣秀吉の養子となり、徳川家とは疎遠になっていた。慶長八年(1603)、家康は征夷大将軍となり、その二年後に将軍職を秀忠に譲った。寛永九年(1632)一月二十四日、秀忠没する。享年五十四歳であった。


▲遠州鉄道の遠州病院駅の高架下に整備されている。

▲説明板。

▲誕生井戸。

▲誕生井戸の石組み。模擬である。

▲碑に刻まれた誕生井戸の由来。

▲高架下の新川は今では暗渠となり、誕生橋の欄干だけが残されている。

----備考---- 
訪問年月日 2024年8月8日
 主要参考資料 「浜松の史跡」他

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