(やづとりで)
浜松市浜名区引佐町井伊谷
▲谷津砦は南北朝期に井伊氏を中心とする南朝方によって築か
れ、本城の三嶽城の落城と運命をともにしたと言われている。
(写真・谷津砦西側)
三嶽城の前進基地
三嶽城の支城群のひとつで井伊谷の南部台地上に構築された砦である。旧鳳来寺道に近く、これを押さえるのも任務のひとつであったと思われる。構築の時期は明確でないが、おそらく南朝の宗良親王を井伊氏が迎えた際に北朝足利勢の来襲に備え、三嶽城の前進基地として築かれたのではないだろうか。 落城は城館資料によれば、興国元年(1340)の北朝方による三嶽城攻略の際、本城と運命をともにしたものと思われる、とある。 井伊氏の一族衆のなかに谷津氏がある。井伊氏八代泰直の弟直村が谷津五郎左衛門を名乗って代々続いているが、砦の構築又は守備にあたったのかは定かではない。 この谷津砦の構築後に600mほど北東に上野砦が築かれている。谷津砦が旧鳳来寺道を十分に押えきれなかったためではないかと見られている。 |
▲谷津砦から井伊谷を望見。 |
▲谷津砦から三嶽城を望見。左の矢印は三嶽城、右の矢印は上野砦。 |
▲登り口。 |
▲頂上へと向かう。 |
▲頂上部はみかん畑となって遺構は確認できない。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2021年5月23日 |
主要参考資料 | 「静岡県の中世城館跡」 |