(せいめいづか)
市指定史跡
掛川市大渕
▲晴明塚は平安時代の陰陽師安倍晴明が津波除け
の祈祷を行った場所として今もなお残され続けている。
(写真・史跡晴明塚)
安倍晴明の赤石塚
掛川市の南部、旧大須賀町の遠州灘沿いに国道150号線が東西に通っている。東大谷川の東800mほどの国道沿い南側に晴明塚入口の案内板が立っている。「晴明」とは平安時代の陰陽師として有名な安倍晴明のことである。 陰陽師というと鬼や怨霊に対して呪術をもって戦うというイメージがあるが、奈良、平安時代には律令体制の中務省陰陽寮に属するれっきとした国の役人であった。陰陽道をもって占いや地相、暦、吉凶を判ずる、いわば技術系の官僚である。 安倍晴明は延喜二十一年(921)の生まれで、陰陽道は陰陽師賀茂氏の薫陶を受け、応和元年(961)に晴明自身も陰陽師に任じられた。後に賀茂氏と安倍氏は陰陽道の二大宗家となって行く。 その陰陽師安倍晴明がある日、城東郡藤塚村(掛川市大渕字大浜)へ来て占ったところ、「三日の内にこの村へ津波が押し寄せ、人家が流され、数千人が死ぬ」と言った。村人達は驚いて「その死を免れるにはどうすればよいのか」と問うた。村人達は晴明の言うとおりに砂浜にあずき色(赤石)の石を並べ塚のように築いた。晴明は塚の前で津波防止の祈祷を行い、その霊験により、以後この村の津波による災難が無くなったという。 後年、この赤石塚に祈願すると疫病にかからないと信じられるようになり、疫病の流行期には遠近から多くの参詣者が訪れたという。そして赤石一個を借り出し、祈願成就の際には二個にして石を返すというのである。すると返した石が何色であってもあずき色に変わると言われ、遠州七不思議のひとつに数えられている。 昭和五十一年(1976)、旧大須賀町では伝承の塚を残そうと、再構築されて現在に至っている。 |
▲国道150号線と晴明塚入口。 |
▲晴明塚入口には駐車スペースが設けられている。 |
▲入口から約50m海岸方向(南)へ行くと説明板が立ち、その奥に塚がある。 |
▲晴明塚の説明板。 |
▲晴明塚の正面。 |
▲赤石がうず高く積まれている。中にはコロナ退散と書かれた石が見られた。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2023年10月19日 |
主要参考資料 | 「遠江古跡図絵」他 |