(おぎまちじょう)
村指定史跡
岐阜県大野郡白川村
▲ おそのの実家和田家から城址を望む。尾根の左端は物見台跡とされている。
戦国の山里に
ひらく恋の花
ここから南8`ほどのところに内ヶ島氏の居城である帰雲城がある。荻町城の城主はその内ヶ島氏の家老山下大和守氏勝の居城であった。 この城址から一望できる白川郷は合掌造りの里として世界遺産に登録されているが、その中でも国の重要文化財にも指定されている和田家が城址近くにある。和田家は天正元年(1573)以来庄屋、蕃所役人を務めた家である。 こんな話しが伝えられている。和田弥右衛門の一人娘おそのは絶世の美女で嫁の貰い手には事欠かなかったという。しかし本人にその気はなく、ただ首を横に振るだけであった。ある日、蕃所見廻りに帰雲城の家老父子が村に来て、和田家で休息した。おそのと家老の息子氏勝はお互いに一目惚れしてしまった。おそのはその日から食もすすまず寝込むほどであったという。恋の病である。弥右衛門は威儀を正して帰雲城へ登り、婚儀を申し入れたのである。 この後、おそのを娶った氏勝は荻町城を築き、内ヶ島氏の支城主としてこの地を治めたのである。 天正十三年の大地震で主家が滅んでからは徳川家に仕えた。後に尾張徳川義直の伝役となり、名古屋城の築城を献策したと云われている。 また強腕で、城から強弓を引いて八丁(約860b)先の山ズミの木に射込んだとも云われ、武事、政事に長じていたことが窺える。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2005年8月9日 |
主要参考資料 | 「日本城郭全集」 |