(わかやまじょう)
国指定史跡、百名城
和歌山県和歌山市一番丁
▲和歌山城は紀州平定を成し遂げた羽柴秀吉によって築かれた。そ
の後、浅野氏そして徳川頼宣が入城して御三家の城のひとつとなった。
(写真・和歌山城天守と多門櫓。)
豊臣の城から御三家の城へ
天正十三年(1585)三月から四月にかけて戦われた羽柴秀吉による徹底した紀州攻めによって根来衆や雑賀衆の抵抗は鎮圧された。反権力と自治志向の強い寺社勢力との戦いは織田信長にはじまり秀吉によって終わったといえる。
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▲乗用車の場合は和歌山城の南側不明門が入口となる。 |
▲不明門から入った乗用車用の駐車場。 |
▲駐車場から新裏坂の石段を上がると最短で天守前に至る。 |
▲まず見えてくるのが天守曲輪を構成する二の門櫓である。 |
▲石段を上がりきると天守曲輪南側の下段広場に出る。これは天守曲輪の入口である二の門である。 |
▲二の門から多門櫓、そして天守。 |
▲二の門から天守曲輪へ入る。 |
▲天守曲輪北西隅の乾櫓。 |
▲天守と小天守。 |
▲天守から見た天守曲輪。櫓や門のすべてが多門櫓で繋がっている。 |
▲史跡和歌山城の案内図。 |
▲本丸から北側へ出る裏坂。 |
▲裏坂の石垣。築城当初の石垣である。 |
▲裏坂を下ると二の丸前に出る。 |
▲「伏虎像」。和歌山城の築かれた山を虎伏山という。この像は戦後に制作されたコンクリート製の二代目伏虎像。初代伏虎像は銅像であったため戦時下に供出されてしまったとのこと。 |
▲一中門跡の石垣。 |
▲一中門跡の内側から東面にかけて残る雁木の段々。 |
▲松の丸櫓台の高石垣。 |
▲外側から見た岡口門。築城当初の大手門。浅野氏時代に搦手門となる。現在の門は元和7年(1621)の建造物で空襲の際にも焼けずに残った。 |
▲城の東側の幅広の水堀。 |
▲浅野氏時代に大手口となった一ノ橋御門。 |
▲一ノ橋から西に延びる堀と石垣。 |
▲北側から見た天守。和歌山城の天守は見る方角によって様々な顔を見せてくれる。 |
▲西の丸跡の「わかやま歴史館」。2階が歴史展示室、1階は観光土産品センターとなっている。 |
▲わかやま歴史館の西側に建つ史跡碑。 |
▲赤塗りの追廻門。 |
▲徳川吉宗公之像。追廻門を出て国道沿いに南へ行くと、県庁前交差点に建っている。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2016年2月6日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
〃 | 「城郭みどころ事典」他 |