(さわきじょう)
▲ 佐脇城は佐脇氏の古城跡なのであろうが、その歴史の
詳細は不明な点が多い。周辺は宅地化されてコの字形に
曲がった水路のみがかつての内堀の名残を留めている。
(写真・城域の西端付近に建つ城址碑と説明板。)
コの字の水路が物語る古城跡
佐脇氏は鎌倉期に当地を名字とした地頭であったと思われ…と現地説明板にある。また別の資料には室町初期に将軍奉公衆の佐脇氏が佐脇荘の地頭となって居住、苗字としたとある。 |
これに対する今川氏真は牛久保城と吉田城を東三河における最後の防衛線とし、その前衛として八幡と佐脇に砦を築いて松平勢の進攻に備えた。この佐脇の砦とはここ佐脇城のことで、今川氏真は家臣三浦左馬助義就を城将として配置した。 |
▲ 城域の西、北、東の外周をコの字形に巡って流れる水路。城址部分は宅地化されて遺構の片鱗すら残らないが、この水路のみがかつての内堀の名残を留めている。 |
▲ 水路のすぐ近くの小公園の隅に建つ城址碑。 | ▲ 意図的に屈曲され、城の堀とされた水路も姿は変わってもその流路に変わりはないようだ。 |
▲ 城址碑と共に立つ説明板。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2012年8月26日 |
主要参考資料 | 「城 第137号」他 |