(ほんごうじょう)
▲本郷城は土岐氏支流源三郎持益が当地に来住して居館を構えた
ことに始まる。持益は植村氏を称して代々松平氏に仕えた。持益の
孫である栄安は清康、広忠二代の主君の仇を討ったことで知られる。
(写真・阿弥陀堂と植村栄安生誕之地の碑。)
主君二代の仇を討った植村氏の古城
明応の頃(1492-1501)、土岐源三郎持益が美濃より遠江国上村に移り、さらに三河国植村に来住して植村氏を名乗り、松平長親に仕えた。徳川家康の直臣として名を馳せた植村氏の始まりである。 |
家在の後、家次が継いで家康の嫡男信康に近侍した。信康切腹後は流浪の身となったが、榊原康政の推挙を得て上野国邑楽郡内に五百石を拝領して家康に仕えた。 |
▲阿弥陀堂前の「植村栄安生誕之地」碑。 |
▲植村栄安生誕之地の碑。 |
▲植村栄安の生誕地を示す岡崎観光文化百選の案内板。 |
▲石碑の建つ阿弥陀堂。境内には植村氏の墓と伝えられる五輪塔など十基ほどが祀られている。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2014年11月30日 |
主要参考資料 | 東海古城研究会「城大209号」 |
↑ | 「日本城郭全集」他 |