(さくらじょう)
▲ 桜城は当初佐久良城と呼ばれ、挙母藩立藩当初は陣屋で
あったが、内藤氏の入封によって城郭化されることになった。
しかし、水害などで工事は断念され、完成を見ずに廃された。
(写真・桜城址公園に残る隅櫓の石垣。)
築城半ばで断念された挙母藩の府城
関ヶ原合戦後の慶長九年(1604)、武蔵国瓶尻五千石を拝領する徳川譜代の三宅康貞が一万石に加増転封となったのがここ衣(挙母)の地であった。
|
寛延二年(1749)、本多氏の遠江相良転封(相良城)により上野安中藩から内藤政苗(まさみつ)が二万石(遠江と美作に一万石)で入封した。政苗は挙母城の築城を計画して幕府から四千両を借用、宝暦六年(1756)から工事を開始した。 |
▲唯一残された遺構の櫓台石垣は現在「桜城址公園」として整備保存されている。 |
▲公園はNTTビルの裏に整備されている。 | ▲櫓台前に建つ城址碑。 |
▲公園内に立てられた説明板。 |
----備考---- | |
---|---|
訪問年月日 | 2013年12月15日 |
主要参考資料 | 「日本城郭総覧」 |
〃 | 「豊田の史跡と文化財」他 |