きのさきじょう
(きのさきじょう)

                   磐田市見付           

城之崎城址
▲ 球場囲む西側土塁の外側。内側は観覧席となっている。

家康、
     未完の城

 永禄十一年(1568)十二月、武田の駿河進攻に遅れじと徳川家康が遠江に進撃を開始した。一気に引馬城を接収した徳川勢は直ちに掛川城の攻略にとりかかった。
 家康が遠江経略の拠点をどこに置くかを思案したのはこの時であった。そして新城の構築場所として選ばれたのがここであった。古来、ここ見付の地は遠江の国府の置かれた所で政治の中心地でもあったのだ。さらに遠江の守護となった今川範国が守護所を置いたのもここ見付であった。家康が遠江経略の拠点として見付に築城しようと考えたのも当然のことであったといえよう。
 年明け早々に家康は山本帯刀成氏に縄張りを命じ、それ以前の旧塁を崩して築城を開始した。
 五月、掛川城を開城させて今川氏真を追放した家康はその後、今川方の諸城を次々に攻略して遠江の大半を掌中に収めた。
 しかし、戦国の世は甘くない。次なる強敵武田信玄との激突は避けられない状況となってきた。武田軍と戦うとなると天竜川を背にした当地では背水の陣となり、加えて織田信長の援軍を迎え入れるのにも不便である。さらに用水不足の不安もあった。
 家康は見付築城を中止して浜松に新城(浜松城)の構築を急がせたのであった。
 現在、この未完成の城址は野球場として四百数十年ぶりに甦り、四方を取り囲む土塁は観覧席として活用されている。
城山球場
▲ 虎口附近が「磐田城山球場」
の正面入口となっている。
----備考----
画像の撮影時期*2005/02