門奈屋敷
(もんなやしき)

               磐田市天龍     


▲門奈屋敷は今川家人門奈美作守の屋敷跡で、後に金台寺が建立された。
(写真・屋敷跡の金台寺)

今川家人門奈美作守

戦国期、ここ磐田市天龍に「今川家人 門奈美作守正重 天竜村に住すと」と「遠江国風土記伝」に記されており、また「今川家領国ノ時、金台寺ハ今川ノ代官門奈美作屋敷ナリ、其跡寺トス…岡村聖寿寺ニ門奈美作位牌有之」と「遠淡海地志」にあるという。

岡村聖寿寺とは現在の天龍山聖寿寺(磐田市岡)のことで、文明十年(1478)開創の寺院である。屋敷跡の金台寺から南西4kmほどの所にある。この寺の伝えでは天龍村の今川家の家人門奈美作守正重が五十四石を寄進し、菩提寺としたとされている。

門奈美作守は高天神城主福島上総介正成に属していたらしい。福島正成は今川家の重臣で娘が今川氏親の側室であり、一子を儲けていた。正成はこの一子、玄広恵探を担いで梅岳承芳(義元)と今川家の家督を争って花倉城に滅びた。天文五年(1536)の花倉の乱である。

福島氏が滅んだ後、今川義元は承芳方として活躍した馬伏塚城主小笠原与八郎春義を高天神城主とした。門奈美作守は新城主となった小笠原氏に属したとされる。

門奈美作守については残念ながらこれ以上のことは未詳とされている。

現在、屋敷跡の金台寺を訪れても遺構とされるものは残されていないようだ。


▲本堂の裏の様子。

▲境内の墓地の方は一段高くなっている。

▲金台寺参道入口。

▲参道横に目を移すと土塁状の高まりがあるが遺構かどうかは分からない。

▲金台寺は遠江薬師四十九番札所の第三番札所となっている。
----備考---- 
訪問年月日 2022年10月29日 
 主要参考資料 「静岡県の中世城館跡」他

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