はままつはちまんぐう
(はままつはちまんぐう)

                   浜松市中区八幡町             


▲ 「雲立楠」と八幡宮社殿。

雲立ちの楠

 永承六年(1051)、八幡太郎源義家は陸奥出陣の途中、当社に参篭して武運を祈った。
   契あれば帰り来るまで岩清水
        かけてぞいはふ浜松の里
 と詠み、社前の楠の下に旗を立てた。
 以来、「御旗楠」と呼ばれて大事にされた。
 時代は下って元亀三年(1572)、三方ヶ原で武田信玄の大軍に戦いを挑んだ徳川家康であったが、その結果は散々な負け戦となってしまった。諸氏周知のことである。
 その家康、命からがら浜松城へ逃げ戻った。
 戦後譚に様々な伝承が生まれるのはどこの地でも同じであるが、家康のこの時の敗走にまつわる伝承の多さには驚くばかりである。ある資料によれば八十八話ほどの多きにのぼるといわれる。無論、その一々が史実でないのは云うまでもない。伝承はあくまで伝承なのである。神君家康公にあやかろうと様々な逸話が編み出されたことは容易に想像できよう。
 さて、この八幡宮に柵で囲まれた大きな楠がある。県の天然記念物に指定されるほどのものである。名称は「雲立のクス」である。家康敗走にまつわる伝承地のひとつでもある。場所は浜松城まであと一歩というほどのところである。
 浜松城目指して必死の形相で馬を駆る家康。しかし武田の追撃は凄まじく、すでに城の周囲にまで敵兵の姿が見えていた。城を目前にしながら家康は馬首を返し、八幡社の楠の大木に隠れた。その根元のほら穴に入ったのである。暗くなるのを待ち、機を見て一気に駆け出すつもりであった。
 しばらくして落ち着きを取り戻した家康は、わが身をかくまってくれている八幡太郎ゆかりの楠の大木を見上げた。
 とそのとき瑞雲立ち昇り、神霊が白馬にまたがり城の方へ飛び立って行くのが見えた。
「吉兆なり」
 家康は一目散に駆け出し、無事浜松城の門をくぐった。
 というはなしである。
 神霊云々はともかく、浜松城周辺にまで敵が迫り、迂闊に城へは入れぬ状況であったのかもしれない。

▲ 家康以来、弓射が盛んとなり、「金的中」の献額が並んでいる。
----備考----
画像の撮影時期*2003/09