尾奈砦
(おなとりで)

               浜松市北区三ヶ日町下尾奈     


▲尾奈砦は南朝方の井伊氏によって築かれた千頭峯城の
支塁群のひとつで、南方東海道方面を監視したとされる。
(写真・浜名湖北岸瀬戸港より見た尾奈砦)

物見の砦

 浜名湖の北、猪鼻湖口の西側高地に砦跡がある。砦は標高135mの本城山に築かれており尾奈砦と呼ばれている。堀割、曲輪などの遺構がみられるというが、現状は雑木による藪化が進み、訪城者の立入を阻んでいる。

 この尾奈砦、猪鼻湖北方の千頭峯城の支塁のひとつ鯉山砦に類似した形態とされ、当砦も千頭峯城の支塁群に含まれると考えられている。つまり新居、舞阪方面の東海道を遠望できる高所であり、此処から鯉山砦を経由して本城である千頭峯城への連絡が行われた物見の砦であったとされる。

 城館資料によれば、「尾奈御厨の庄官県氏の一類が井伊氏の支配下に入るにあたり同氏の指示を受けて構築し、南方東海道監視の一役を買ったものかと思われる」とし、「その落城は千頭峯城砦の内一番先ではなかったかと想察されている」とある。

 時代は南北朝時代、井伊氏が宗良親王を迎えて南朝の旗を掲げ、足利幕府軍と熾烈な攻防戦を展開した暦応二年(1339)のことである。

 戦国期、遠江は今川氏によって平定が進み、また徳川氏の遠江進出があるなどして軍事拠点の再利用、再構築は随所で実施されたはずである。当然、この眺望に優れた砦跡が再利用された可能性は十分に考えられる。無論、それを証明するものは何もないが。


▲猪鼻湖東岸から見た尾奈砦。

▲猪鼻湖北側から見た尾奈砦。

▲猪鼻湖北岸の鯉山砦(矢印)。

▲尾奈砦南側中腹から浜名湖をのぞむ。遠く太平洋とつながる今切口が望見できる。

▲尾奈砦南側中腹より見た浜名湖西岸に突き出た宇津山城。この城の監視には適した場所でもある。
----備考---- 
訪問年月日 2022年1月16日 
 主要参考資料 「静岡県中世城館跡」他

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