三井山砦
(みついざんとりで)

                   掛川市大坂           


▲ 北側から見た三井山砦跡の山容。山頂には清水の湧き出る井戸が三つあったと伝えら
れており、水には困らなかったようである。現在でもこの周辺には溜池が多く存在している。

高天神城包囲、
       南の砦

 この砦は徳川家康が高天神城を攻略するために築いた六砦のひとつとして知られている。「高天神城実戦記」には天正七年(1579)十月に家康が高天神城に対する向城としてここに築城したとある。資料によっては天正八年三月に大坂、中村の城を修築したともある。大坂の城とはここ三井山のことであろうが、いずれにしても天正七年後半から翌八年前半の間であることは間違いないといえよう。
 横須賀城築城が天正六年春で、この年の十月には武田勝頼が横須賀城を攻めている。この時点では三井山はまだ徳川方の拠点とはなっていなかったといえる。逆に、武田方の拠点のひとつであったようだ。
 三井山の遺構形態から高天神城と同時期のもので今川時代に構築されたものとみられており、高天神城の出城として古くから存在していたことは確かである。天正六年十月の武田軍による横須賀城攻撃の時点ではここ三井山の砦には高天神城から城兵の一部隊が派遣されて駐屯していたことであろう。
 天正七年になると横須賀城の大須賀勢が大坂、中村、国安方面(高天神城の南方)に対して積極的に兵を出し、高天神城の武田方を挑発している。こうした大須賀勢による一連の軍事行動の過程でここ三井山の砦も大須賀勢によって占有されたものであろう。
 以後、三井山砦は徳川方による高天神城包囲網の南面を押える拠点として機能したのである。

▲ 三井山砦本丸への山道。

▲ 砦本丸跡。六砦のひとつとなってからは酒井
重忠勢250人が布陣したと云われている。

----備考----
画像の撮影時期*2007/01・06