能ヶ坂砦
(のがさかとりで)

                   掛川市小貫           


▲ 砦跡の坂は今も県道38号線として掛川、菊川の両方面へ通じる交通の要所である。

高天神の
      退路を断て

 能ヶ坂砦は天正八年(1580)に高天神城包囲網のひとつとして徳川方によって築かれた砦である。
 この地は掛川方面と菊川方面に通じる街道を押さえる要所である。ここに徳川方が陣取ることによって菊川方面からの補給路を断つと同時に、城方の退路をも断つことになるのだ。
 この砦に陣を構えたのは本多豊後守康重の一隊であった。
 本多康重は天正五年に家督を相続したばかりの若武者で、その後小牧・長久手の戦いなとで活躍している。家康の関東移封後は上野国白井二万石を拝領、関ヶ原合戦後は五万石で三河岡崎城主となった。曾孫の利長は遠江横須賀城主となっている。
 同時期にこの南側に火ヶ峯砦が築かれたが、この砦とは尾根に沿って武者走りが設けられ、繋がっていたと云われている。

▲ 坂の途中に建つ「能ヶ坂砦」の標柱。

----備考----
画像の撮影時期*2007/07