岡山本陣
(おかやまほんじん)

        岐阜県大垣市赤坂町        


▲ 岡山本陣は関ヶ原合戦に際して徳川家康が最初に本陣所とした
ところである。合戦後は家康の勝利にあやかって勝山と呼ばれた。
(写真・岡山山頂の本陣跡。)

家康、三成の誘い出しに成功する

 慶長五年(1600)八月二十三日、上州小山会議において打倒三成で結束した福島正則、田中吉政、加藤嘉明、細川忠興、藤堂高虎、池田輝政、堀尾忠氏、山内一豊、一柳直盛、浅野幸長、京極高知、黒田長政、井伊直政、本多忠勝といった東軍勢三万四千ほどが岐阜城を瞬く間に攻略した。その進撃は止まることなく翌日には黒田、藤堂、田中の軍勢が大垣城の西北赤坂に陣取った。
 八月十日以来大垣城を本営としていた石田三成は自身の居城である佐和山城が危ないとみて一旦佐和山に戻ったと言われている。
 九月一日、徳川家康、江戸城発進。十一日には清州城に入った。
 十四日正午頃、家康は七万余の東軍勢が集結して大垣城に対面している赤坂陣の高地であるここ岡山に本陣を構えた。
 家康の戦いは野戦に長じ、城攻めは苦手と評されていたが、今度ばかりは大垣城を攻め落とさなければならないことになったと家康は水攻めの策を考えていたと言われている。それは大垣の東西を流れる揖斐川と杭瀬川の上流を切って輪中を水没させるというものであった。しかし、城攻めには日数がかかる。その間に豊臣恩顧の諸将の気変わりが起こらぬとも限らない。やはり、即戦即決の野戦で雌雄を決すべきである。家康の腹は決まった。すでに南宮山の吉川広家や松尾山に陣した小早川秀秋、加えて脇坂安治、朽木元綱、小川祐忠、赤座直保らは西軍に属しながらも不戦あるいは寝返りを約してきているのだ。
 一方の大垣城では岡山に立ち並んだ馬標や白旗を見て家康の着陣を知り、士卒の間に動揺が起こっていた。三成の臣島左近勝猛は、ここで一戦して西軍の威勢を示して士気を回復すべしとして蒲生郷舎と共に兵五百を率いて打って出た。杭瀬川を渡った島左近らの一隊は東軍中村一栄の陣前で稲を刈って挑発した。これに対して一栄の部将野一色頼母が一隊を率いて柵から出戦、島隊に襲いかかった。島隊はわざと敗走して川を渡り中村勢を東岸に誘い込み、伏兵と共に挟み撃ちにして頼母以下三十余人を討取った。いわゆる杭瀬川の戦いである。
 この戦いを夕餉を取りながら岡山から見ていた家康は、はじめは中村隊の戦いぶりを称揚していたが、次第に不機嫌となって「大事の前にこのような小戦で兵を損じるとは何事か」と怒り、本多忠勝を派して兵を収めさせたという。

 さて、まずくなった夕餉を済ませた家康は「明夜明けに当所を発して佐和山城を破り、大坂城に進む」という情報をわざと三成方に知らせるように間者を放ったとされる。
 日の暮れた岡山本陣で家康は爪を噛みながら大垣城の動静の報せを待っていた。
 午後七時頃、降りしきる雨の中、石田三成隊を先頭に西軍勢が大垣城を西に向かって進発した。先頭の石田三成が笹尾山に布陣したのが十五日午前一時頃といわれている。最後尾を進んでいた宇喜多秀家が布陣を終えたのが午前五時頃とされる。
 岡山の家康の許には逐一西軍の動きが報されていたはずである。三成が笹尾山に布陣したのを確認した家康は午前二時頃、全軍に関ヶ原への出陣を命じた。
 家康も岡山陣を引き払って東山道を進み、午前六時頃に桃配山に陣を置いたのであった。
 岡山本陣に家康が居た時間は約十四時間ほどであったが、その間に三成を野戦に誘い出すことに成功したわけであるから、家康にとって忘れ難い地となったことは言うまでもないだろう。


▲ 杭瀬川の戦いの古戦場付近。
 ▲ 岡山本陣跡はこの安楽寺から登る。
▲ 安楽寺の梵鐘。関ヶ原合戦時、西軍大谷吉継が陣鐘として使っていたもので、戦後に家康が戦利品として寄進したものという。

▲ 本堂裏の石段が登り口である。

▲ 石段の両側には墓石が並んでいる。その中に戸田権左衛門の墓がある。権左衛門政純は播州赤穂城受け取りの大任を果たした。

▲ 岡山の中腹。土塁などの遺構は無いようだ。

▲ 山頂に建てられた「史蹟関ヶ原合戦岡山本陣址」の碑。

▲ 本陣址の碑と並んで建つ壬申の乱の古跡碑。

▲ 山頂の一部がコンクリートで固められている。大戦時に高射砲陣地として使用された名残である。

▲ 安楽寺駐車場から眺めた岡山。

▲ 岡山から北西600mほどの所に「兜塚」と呼ばれる墳丘があり、野一色頼母の墓碑が建っている。

▲ 野一色頼母は中村一栄の部将で、杭瀬川の戦いに際して西軍の挑発に乗って深入りしてしまい、討死してしまった。戦後ここに葬られ、鎧兜を埋めたと伝えられている。

▲ 岡山の約2kmほど南東に日吉神社がある。杭瀬川の戦いはこの辺りで起きたものとされる。
----備考----
訪問年月日 2012年11月3日
主要参考資料 「関ヶ原合戦」
 ↑ 歴史群像シリーズ関ヶ原の戦い」他

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