勝龍寺城
(しょうりゅうじじょう)

                  京都府長岡京市勝竜寺           


▲ 勝龍寺城の本丸南門跡。平成4年(1992)、勝竜寺城公園として整備された。

京都南西口の要城

 勝龍寺城は南北朝時代に細川氏によって築かれ、その後多くの武将がこの城に拠ったが、二百数十年の後に再び細川氏の居城となって新たな城に生まれ変わったという歴史をもつ。
 創築者は細川頼春で、暦応二年(1339)に南朝方の攻撃から京都を守るために築城したと云われている。頼春は足利尊氏の討幕旗挙げの当初からの功臣で、武家政権樹立後は数ヵ国の守護を兼ねるなどして活躍した。観応三年(1352)、南朝方の京都攻めの際に、頼春は足利義詮を守って討死した。
 勝龍寺城の名がその後歴史に登場するのは文明二年(1470)にまで下る。世は応仁の乱の最中である。山名方である西軍の畠山義就が東軍の山崎城に対抗する陣城として修築、手を加えたと云われている。
 さらに時は下り、畿内では細川氏による管領政治が終わりを告げ、その被官であった三好氏の台頭をみるに至り、天文二十年(1551)頃には三好長慶方の山城国人が勝龍寺城の普請に関わったようである(長岡京市年表)。
 永禄五年(1562)、三好氏と畠山氏の対立激化によって勝龍寺城には三好方の今村慶満が入城した。その後の経緯は分からないが、永禄九年(1566)には再び三好方の城となって三好三人衆のひとりである岩成友通が城主となった。
 永禄十一年(1568)九月二十六日、織田信長が足利義昭を奉じて武力上洛を果たした。その三日後、柴田勝家らの織田軍が勝龍寺城を攻め、岩成友通は降伏してその支配下に入った。
 翌永禄十二年(1569)一月、岩成友通らの三好三人衆は信長の不在を狙って足利義昭の宿所である京都本圀寺を襲った。この時、岐阜に居た信長が大雪の中を電光石火一騎駆けで入京を果たし、続いて八万の大軍が集まったという。当然、三好三人衆は京を追われ、細川藤孝、三好義継、池田勝正らが勝龍寺城に進駐した。
 勝龍寺城が細川藤孝の居城となったのはよく分からないが、この頃であったとも思われる。
 元亀二年(1571)十月、信長は細川藤孝に勝龍寺城の普請を命じた。そして天正元年(1573)には、藤孝は桂川西地一職という守護と同等の地位と知行を信長から与えられた。この頃、藤孝は信長の恩義に感じてか、はたまた中世の亡者と化した足利氏への決別のためか、姓を長岡に改めている。
 現在見られる勝龍寺城の遺構はこの頃から始まった藤孝の普請によるものである。奇しくも、藤孝は勝龍寺城の創築者細川頼春の十代目の末裔であった。
 天正六年(1578)八月、盟友明智光秀の三女玉(十六歳/後にキリシタンとなり、洗礼名ガラシャとして知られる)が藤孝の嫡男忠興に嫁ぎ、勝龍寺城に輿入れした。
 天正八年(1580)八月、明智光秀とともに丹波、丹後平定を成し遂げた功により、藤孝は丹後一国を信長から与えられ、勝龍寺城を出て丹後(田辺城)に移った。

▲ 勝竜寺城公園の入口(南門)に建てられた「明智光秀公三女玉お輿入れの城」の碑。玉がここに嫁いだのは天正6年(1578)8月のことであった。細川藤孝と明智光秀の絆がより強くなったはずであったのだが…。
 翌年三月、空城となった勝龍寺城には信長近臣の矢部善七郎家定と猪子兵助高就が城代として入った(「信長公記)。
 そして運命の天正十年(1582)本能寺の変であるが、勝龍寺城にとっても運命の年となってしまった。
 六月二日に本能寺の信長を襲った明智光秀はその十日後、中国路を引返して来る羽柴秀吉を迎え撃つために勝龍寺城の南の御坊塚に陣取った。しかし兵数においては秀吉の方が勝っていた。この戦陣に細川勢が加わっていればと光秀は唇を噛んだに違いない。無情にも藤孝は光秀を見限ったのである。
 戦いは明智勢の奮戦にもかかわらず、羽柴勢の勝利に終った。光秀は敗兵とともに勝龍寺城に駆け込んだ。そこは三女玉の暮らしていた城である。無論、この時の光秀に感傷に浸っている時間はなかった。勝龍寺城は四万の羽柴勢に囲まれて持ち堪えられるほどの堅城ではない。光秀は夜陰に紛れて勝龍寺城を脱し、居城の坂本城へ向かったのである。
 しかし、光秀の命運は山科の小栗栖の竹藪で尽きた。
 そして勝龍寺城も羽柴勢によって落城させられ、その歴史を閉じたのである。

▲ 本丸跡に建てられた「細川忠興・玉(ガラシャ)像」。

▲ 本丸跡に残る井戸跡。直径0.9b、深さ2bで、発掘中にも水が湧き出ていたという。

▲ 本丸北側に再現された堀と土塁と塀。

▲ 本丸北西隅に発見された北門跡。山崎の戦いに敗れた明智光秀は夜陰に紛れてこの北門から逃れたという。

▲ 本丸内に建てられた城郭風の建物は休憩所兼資料館となっている。

▲ 本丸西側に隣接する沼田丸。
----備考----
画像の撮影時期*2008/06