人吉城
(ひとよしじょう)

国指定史跡、百名城

                   熊本県人吉市麓町            


▲ 人吉城の御下門跡の石垣。ここが三の丸、二の丸、本丸へと至る入り口となる。

相良氏
          六百七十年の居城

 人吉城は創築以来一貫して相良氏の居城として存在してきた。鹿児島城の島津氏と並ぶ歴史の長さを持っている。

 現在の静岡県牧之原市に相良(相良城)という町がある。相良氏発祥の地である。藤原為憲の曾孫周頼(かねより)が初代で天永三年(1112)に相良の荘司として土着、その後五代八十余年続いた。世は源平の争乱を経て鎌倉幕府による武家社会となり、建久九年(1198)に六代目長頼が臼間の荘(人吉市)の地頭に任ぜられて相良の地を離れた。これが人吉における相良氏の始まりとなったのである。

 人吉は平氏の所領だった地で平頼盛の臣矢瀬主馬助が城館を構えていた。相良長頼は館の明渡しを要求したが、主馬助はこれを断った。長頼は主馬助を討取ってその城館に入ったのである。

 人吉の主となった長頼は直ちに城館の修築に取り掛かった。これが人吉城の始まりとされる。この工事中に三日月文様の奇岩が出たので人吉城のことを別名三日月城とも呼ぶようになった。

 九代堯頼(たかより)の時代に上相良氏の頼観・頼仙兄弟が人吉城を攻め取り、当主堯頼を追放するという事態が起きた。これに対し下相良氏の一族である長続がこの兄弟を討取って人吉城を奪回して、その後十一代当主として球磨郡内を統一した。

 十二代為続は八代にまで勢力を拡大、十六代義滋の頃には球磨、八代、芦北の三郡を支配するまでになった。

 時代は戦国の世となり、隣国島津氏との衝突も避けられなくなり、天正九年(1581)の水俣合戦で相良氏は敗北、球磨郡一郡に逼塞することになった。十八代義陽(よしひ)のときであった。人吉城に戻った義陽は厳しい戦国時代を生き残るために城の大改修に取り掛かったが、この年の十二月に島津氏の命で阿蘇氏攻めに出陣、響ヶ原(宇城市豊野)で討死してしまった。享年三十八歳と伝わる。

 天正十五年(1587)の豊臣秀吉による九州平定に際して二十代長毎(ながつね)はいち早く臣従の意を示し人吉二万二千石が安堵された。長毎は義陽以来の改修工事を継続し、近世型の石垣造りの城郭化を進めた。

 慶長五年(1600)の関ヶ原合戦では西軍に属して大垣城(岐阜県)に籠ったが、重臣相良清兵衛の機転で東軍に寝返り、滅亡を免れている。

 義陽によってはじまった人吉城の改修は寛永十六年(1639)に至り完成をみた。現在見られる人吉城の原型がこの時に完成したのである。

 本丸には当初から天守は築かれることはなく、望楼が代わりに建てられたという。江戸時代には二度の大火に見舞われて城が焼失してしまった。文久二年(1862)の二度目の大火後の修築では西洋式の武者返しを備えた石垣が構築された。

 明治四年(1871)、廃藩置県により廃城となる。

 明治十年(1877)四月、相良氏の悠久の歴史を刻み続け、明治に至りようやく深い眠りについた人吉城に戦いの風が吹き込んできた。熊本城攻略に失敗して官軍に追われる身となった西郷隆盛以下の薩軍が人吉に敗走してきたのである。

 人吉に陣取った薩軍は人吉城内で弾薬の製造を行った。一日二千発を製造したという。食料の調達や兵の休養がなされ、一ヵ月ほどは戦闘もなく静かな日々が続いた。
「人吉に割拠、二年は大丈夫」
 と豪語したと伝わっている。

 ところが官軍はこの間に人吉攻略の準備を終え、五月三十日から戦闘が開始された。六月一日には官軍によって人吉は占領され、薩軍は敗走した。そして戦場は宮崎方面へと移ってゆく。二年どころかわずか数日の戦闘で薩軍は人吉から追われたことになる。

 現在は人吉城公園として保存整備がなされている。胸川沿いには大手の多聞櫓や隅櫓が復元され、石垣だけの無骨な城跡とは趣きの違った景観を私たちに見せている。

▲ 城址へ踏み入ると最初に迎えてくれるのがこの武者返
しの石垣である。石垣の最上部がひさしのように飛び出し
ている。他には北海道の五稜郭に見られるだけだそうだ。

 ▲ 堀合門。城主の住む御館の北の裏門である。平成19年に復元された。
▲ 水の手門跡。球磨川に面した船着場である。

▲ 水の手門から球磨川にせり出た石垣。

▲ 米蔵跡の脇に建てられた城址碑。

▲ 御下門を上がると中の御門跡に出る。小規模ながら枡形となっている。

▲ 二の丸跡。

▲ 本丸跡。天守は最初から計画されず、望楼櫓が建てられた。

▲ 胸川に面した大手門跡。

▲ 大手門跡から胸川沿いに球磨川合流点まで復元された多聞櫓と長塀。人吉城はこの二つの川を天然の堀としている。
----備考----
訪問年月日 2009年5月2日
主要参考資料 「日本城郭総覧」他

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