(ぎょうめいじょう)
豊川市行明町末広
▲ 行明城は土豪化した星野氏の城館であったとされる。最後の城主であったと思われ
る星野日向守の先祖である星野行明は伝説的な存在となって今に語り継がれている。
(写真・豊川の堤防上から見た城址。中央の森の中に土塁が残る。)
伝説の武将、星野行明
星野城址には土塁と堀の一部が見られるが、その全貌を知ることは不可能な状態となっている。 その後、三河守護は一色氏の時代となる。星野氏は天羽衣(天皇践祚後の大嘗会の儀式に使われる)調進役を勤めてきた家柄であったことから時の守護勢力とは相反するところがあったようで、その所領の維持は安定したものではなかったようだ。 |
▲ 城址に残る土塁跡。 |
▲ 堀側から見た土塁跡。 | ▲ 土塁跡は40mほど続いており、藪の中にもそれが確認できる。 |
▲ 星野日向守開基星野山行明寺。城址の西、豊川放水路の対岸にある。 |
▲ 行明寺の山門を入ると明治14年作の鬼瓦が展示されていた。鬼瓦と右下の家紋は星野行明の「剣茶の紋」、その左は星野日向守の「片葉の茶紋」。 |
▲ 行明寺境内墓地の星野日向守の墓。 |
▲ 城址の北、堤防上の公園にある「羽衣の松」4代目。星野行明の出生譚と羽衣の松伝説(当地の)はどこか似ている。行明寺の説明板とこの羽衣の松の説明板を現地で読み比べてみてください。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2013年2月24日 |
主要参考資料 | 「日本城郭全集」 |
↑ | 「愛知県史研究第11号」他 |