
(にしがたこるい)
市指定史跡
豊川市御津町西方中屋敷

▲ 西方古塁は池田輝政が吉田城主となった時代に東三河支配の
ために設けられた拠点のひとつとして築かれたものであった。
(写真・右側の木々の間に土塁跡が残る。)
東三河支配を担う古塁跡
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天正十八年(1590)、小田原征伐(小田原城)後、徳川家康とその家臣団は関東移封によって故地三河を去り、東三河には豊臣大名池田輝政が十五万二千石の領主として吉田城に入った。 |
▲ 草木の陰にわずかに残る土塁跡。 |
![]() ▲ 同じく土塁跡。 |
![]() ▲ 土塁跡の前に立つ説明板。 |
| ----備考---- | |
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| 訪問年月日 | 2012年8月26日 |
| 主要参考資料 | 「城 第137号」他 |