江原城
(えわらじょう)

西尾市江原町屋敷


▲江原城は江原氏歴代の館城で四代丹波守は桶狭間合戦で討死した。
(写真・字屋敷に残る土塁跡)

桶狭間に散った江原丹波守

西尾市江原町の字屋敷の禅刹妙喜寺は江原丹波守忠次の菩提所である。この妙喜寺の西約200mの所に土塁の一部が残存している。この辺りが江原氏の館城のあった場所となっている。

江原氏が当地を居所としたのは文明年間(1469-87)の頃とされ、小笠原氏から分かれて江原を姓とした源太郎忠家が初代である。二代源太左衛門忠宗、三代丹波守忠法と続いた。

四代丹波守(はじめ美作守)忠次は今川義元に属して度々戦功ありとされる。しかし永禄三年(1560)の桶狭間合戦で討死してしまった。忠次の跡目は末弟(息子とも)の孫三郎が継いで藤太夫忠盛と名乗ったらしい。

永禄六年(1563)の三河一向一揆の際に孫三郎は妻の実家である寺部城(西尾市寺部町)主小笠原広重に加勢して一揆側に付いた。しかし広重が松平元康(家康)方に付いたため、孫三郎も降伏して所領は安堵された。その後は徳川家康に従って活躍、小田原城攻めにも参加した。

天正十八年(1590)、孫三郎は家康の関東入りに従い上総国富津に移り、慶長十九年(1614)九十歳で没した。江原氏の子孫は尾張藩士として続いたとされる。

現在、土塁跡は個人宅内にあり、道路から観察するしかない。なお、菩提寺である妙喜寺には江原一族の墓塔が残されている。


▲妙喜寺。

▲「江原丹波守菩提所」の碑。

▲本堂。

▲江原一族の墓塔。

----備考---- 
訪問年月日 2026年1月27日
 主要参考資料 「愛知県中世城館跡調査報告」
「西尾の人物誌」他

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