本庄山砦
(ほんじょうやまとりで)

袋井市春岡


▲本庄山砦は遠江における徳川氏と武田氏による抗争期に築かれた陣城と見られている。
(写真・春岡神社入口と本庄山)

武徳抗争下の砦

本庄山砦跡の西麓に春岡神社がある。春岡神社の由緒を見ると村松氏が世々神職を務めたとある。この村松氏は戦国当時、宇刈郷の土豪七人のうちの一人であったようで「宇刈七騎」と呼ばれていた。

宇刈七騎とは市場村の村松新五右衛門、下村の西尾与惣、一色の富永藤兵衛、三沢の長谷川平兵衛、馬ヶ谷の内藤三左衛門、中村の村松右京、大日の小野田助左衛門であると「宇刈村誌」にある。七騎と呼ばれたことからもとは騎乗の武士であったと思われるが戦国末期には庄屋となって帰農していたものと思われ、彼らの多くは北東1.5kmの飯田城主山内氏の支配下に置かれていたものと見られている。

永禄十二年(1569)六月、徳川家康は飯田城の山内氏を滅ぼした。その後、宇刈郷は徳川氏に属したのであろうが、元亀年間(1570-73)までは徳川氏と武田氏の抗争が激しく、この辺りも落ち着かない時期が続いたものと思われる。

本庄山砦が構築されたのもこうした不安定な時期であったようで、竪堀や土塁の遺構、発掘による横堀の検出などを見ると、徳川方の久野城に対する武田方の陣城として整備されたものとも思える。反対に徳川方が武田方に対抗して築いたのだとの見方もあり、その辺は明確ではない。


▲砦跡南西部に見られる堀跡。

▲市教委による説明板。

▲宇刈七騎のひとり村松氏創建の春日神社(現・春岡神社)。

▲春岡神社の由緒。

▲砦跡南麓の極楽寺。発掘調査から居館跡と見られている。

----備考---- 
訪問年月日 2022年10月1日 
 主要参考資料 「静岡県中世城館跡」
「宇刈村誌」他

 トップページへ遠江国史跡一覧へ