中泉陣屋
(なかいづみじんや)

磐田市中泉


▲中泉陣屋は天領支配の代官所となったもので、中泉御殿に
隣接して建てられた。現在は市街化して当時を偲ぶものはない。
(写真・御殿遺跡公園から陣屋跡方面を見る)

天領支配の代官所

天正十二年(1584)、当地に代官伊奈忠次によって中泉御殿が造営された。そして天正十八年(1590)、浜松城主堀尾吉晴支配のとき、中泉御殿側に陣屋(代官所)が設置された。

中泉陣屋は天領(幕府直轄領)支配の地方官である代官の役所となったところで代官所と呼ばれた。代官は旗本から選ばれ、支配地の検見、年貢割付、収納等の一般行政および治安、検察にあたった。

中泉代官の支配地域は遠江と三河の両国にわたり約六万三千石余であったとされる。支配が信濃にまで及んだのは幕末の最後の代官となった大竹庫三郎宗孝(慶応3/1867〜慶応4/1868)のときで七万六千石余に及んだ。

徳川家による初代中泉代官となったのは岡田郷右衛門(慶長6/1601〜慶長10/1605)で以降幕末に至るまで49代の代官が就任した。

代官所廃止後も、静岡藩の奉行所のひとつとして中泉陣屋が利用されている。明治二年(1869)に中泉奉行として前島密が赴任し、無禄士族の受け入れや困窮する民衆を救済する中泉救院の創設などに奔走している。前島は後に日本の郵便制度を確立したことで知られている。


▲陣屋裏門の移築門とされる中泉寺の山門。

▲陣屋内の南隅にあった稲荷宮の参道に建てられていた道標。

▲中泉御殿の一画が御殿遺跡公園として整備されている。

▲御殿遺跡公園内にある陣屋の説明板。

▲中泉寺の山門。かつての陣屋裏門の移築とされる。

▲山門の扉の葵紋。

▲磐田駅南口に建つ中泉奉行を務めた前島密の像。

▲郵便創業時のポストのレプリカ。日本郵便の父でもある前島密にちなんだものである。


----備考----
訪問年月日 2021年7月18日
主要参考資料 「磐田市誌・中泉代官」他

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