日坂陣屋
(にっさかじんや)

掛川市日坂


▲日坂陣屋は江戸期の公領の山林管理者である御林守の陣屋である。
(写真・道路の右側が陣屋跡で左側の窪みが堀跡)

御林守の陣屋

掛川市東部の日坂は東海道二十五番目の宿場町である。この宿の北側を流れる逆川の北岸に江戸時代の一時期に陣屋が置かれていた。陣屋といっても旗本らの知行地支配のための陣屋ではなく御林守(おはやしもり)の陣屋である。

御林守とは公領の山林の管理者のことで幕府や大名から現地の有力者が任ぜられた。ここ日坂宿の御林守は正徳二年(1712)にときの掛川藩主(掛川城)小笠原壱岐守長煕(ながひろ)が岩井左太夫(後に政右衛門)に命じたことが伝えられている。

岩井左太夫は当初、佐野郡栃澤村石上(掛川市初馬石上)から勤めていたが元文年間(1736-41)に日坂の当所に移ったとされる。

寛延二年(1749)、当時の中泉代官大草太郎左衛門政美(中泉陣屋)のときに日坂宿における手代を兼ねるようになり、享和元年(1801)まで宿場の民政の任にもあたるようになった。この岩井氏の子孫は現在もこの付近に居住しているとのことである。

現在、陣屋跡地とされる場所は宅地化されて遺構は確認できない。唯一、道路の南側に見られる段差がかつての堀跡であったとされている。


▲道路の左側が陣屋跡。宅地化して遺構は無い。道路右側の段差がかつての堀跡とされる。

▲陣屋の南側を流れる逆川。

▲日坂宿の本陣扇屋跡。

▲日坂宿の旧東海道。街並みは現在もあまり変わってないらしい。

----備考---- 
訪問年月日 2025年7月22日
 主要参考資料 「静岡県の城跡」他

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