掛川市吉岡
▲岡津砦は徳川家康が掛川城攻めの際に築いた附城群のひとつである。
(写真・岡津砦を北側から望見)
掛川城攻めの附城
永禄十一年(1568)、遠江に進攻した徳川家康は今川氏真の逃げ込んだ掛川城の攻略に取り掛かった。家康は長期戦に備えて掛川城の周辺に多くの附城を築いて兵を駐屯させた。岡津砦はその附城群のひとつである。 家康はこの砦に金丸山砦に陣していた久野城主久野三郎左衛門宗能と久野近在の土豪本間五郎兵衛を置いて付近の今川方に対応させた。 岡津砦の西側台地上には各和城がある。各和城の城主各和三郎兵衛は今川方を鮮明にして徳川に従うことを拒んでいた。家康は掛川城の攻略に先立ち、この各和城を攻め落としている。石川日向守家成を大将とし、久野宗能、本間十右衛門がこの城攻めに加わっていた。本間十右衛門は五郎兵衛の弟である。岡津砦が各和攻めの戦闘準備拠点となったであろうことは想像に難くない。 永禄十二年(1569)三月、掛川城攻め最大の攻防戦となった天王山(掛川古城)の戦で本間五郎兵衛が討死している。各和落城に伴い、岡津砦の徳川勢は掛川城近くへと進出していたものと思われる。 現在砦のあった台地上の大半は茶園となり、砦としての遺構は確認できないだろう。遠目に台地の地形から砦のあったことを想起するほかない。 |
▲西側から見た岡津原台地の北部。砦は台地の北部一帯に築かれたとされる。 |
▲台地上の様子。茶園・畑地となっているが西側に傾斜する地形を生かして上段と下段に複数の曲輪を配置しているという。 |
----備考---- | |
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訪問年月日 | 2020年8月12日 |
主要参考資料 | 「静岡県の中世城館跡」他 |